代表チームに名を連ねるということは、ごく一握りの選手に与えられた特権である。各選手は所属クラブでの活躍が評価されて代表に招集されるが、なかにはクラブで素晴らしい成績を収めているにも関わらず、不思議と縁がない選手も存在する。今回は、所属チームで活躍しながらサッカー日本代表にほとんど(もしくは全く)呼ばれなかった選手を10人ピックアップする。※データは『Transfermarkt』を参照。キャップ数はA代表のみ。[1/5ページ]
MF:礒貝洋光(いそがい・ひろみつ)
生年月日:1969年4月19日
主な所属クラブ:ガンバ大阪、浦和レッズ
代表キャップ:2試合0得点0アシスト
Jリーグ初期のスター選手として名を馳せたのが、ガンバ大阪で公式戦149試合に出場して28得点を挙げた礒貝洋光だ。
小野伸二や中田英寿をも超えるサッカーセンスを持っていたと称される“ファンタジスタ”は、魅せるプレーでファンを魅了。
天才肌の選手らしく時にはガムシャラさに欠けるケースもあったが、鋭いドリブルや高精度のパスはガンバの大きな武器となっていた。
だが、礒貝ほどの才能の持ち主であってもサッカー日本代表に定着することはできず、キャップ数は「2」にとどまっている。
帝京高校時代から“超高校級”との触れ込みがあった礒貝は、その後に進学した東海大学を中退して1992年にガンバへ入団。翌1993年にはJリーグ開幕という記念すべき瞬間に立ち会った。
礒貝は1986年にU-20日本代表としてFIFAワールドユースアジア予選に出場している。
また、東海大学在学中の1991年にはAマッチ出場こそなかったものの、日本代表にも選出。国際舞台と全く縁がなかったわけではない。
1995年6月1日に行われたFIFAコンフェデレーションズカップ(当時キング・ファハド・カップ インターコンチネンタル選手権)のナイジェリア代表戦で、礒貝は念願のAマッチデビューを果たす。
A代表では、ガンバで披露していた相手を翻弄するようなプレーを出しきれずに試合出場が計2試合のみとなってしまったが、もし礒貝がエースとしての地位を確立していたとしたら、日本代表はより創造性の高いサッカーを展開していたかもしれない。
そう思わせるほどに、当時の礒貝のテクニックは異次元の領域に達していたのだ。
