代表チームに名を連ねるということは、ごく一握りの選手に与えられた特権である。各選手は所属クラブでの活躍が評価されて代表に招集されるが、なかにはクラブで素晴らしい成績を収めているにも関わらず、不思議と縁がない選手も存在する。今回は、所属チームで活躍しながらサッカー日本代表にほとんど(もしくは全く)呼ばれなかった選手を10人ピックアップする。※データは『Transfermarkt』を参照。キャップ数はA代表のみ。[3/5ページ]
MF:家長昭博(いえなが・あきひろ)
生年月日:1986年6月13日
主な所属クラブ:ガンバ大阪、RCDマジョルカ(スペイン)、川崎フロンターレ
代表キャップ:3試合0得点0アシスト
近年の川崎フロンターレの黄金期を体現した1人が家長昭博だ。
キャリアを積むなかで才能をフルに発揮する術を会得したが、若い頃は好不調の波が激しく、かつては所属クラブでも出場機会を得られないことが少なくなかった。
サッカー日本代表でも安定的な活躍はできず、キャップ数が「3」にとどまっている。
ガンバ大阪の下部組織で育成を受けた家長は、2004年7月にプロ契約を締結。同年6月にはJリーグ史上初となる2種登録選手によるデビュー戦初得点を記録するなど、期待のホープとしてガンバのトップチームに迎え入れられた。
だが、先に述べたように当時はプレーにムラがあったため、遠藤保仁や二川孝広ら名手の牙城を崩せず、定位置確保に苦労。大分トリニータやセレッソ大阪へのレンタル移籍も経験した。
自身初の欧州挑戦となったRCDマジョルカ時代や、より前のポジションを任されたことで新境地を切り拓いた大宮アルディージャ(現:RB大宮アルディージャ)時代を経て、家長はどんな場面でも頼れる“仕事人”に進化を遂げた。
川崎が数々のタイトルを獲得していくフェーズと家長の加入時期(2017シーズン)がぴったりと重なるのは偶然ではないだろう。
残念ながら、家長が日本代表に初招集されたのはまだ選手として成熟する前の2007年。2011年6月のキリンカップでは約4年ぶりの復帰を果たしたものの、代表チーム定着はならなかった。
ゲームメイクとゴールを一手に担うことができる稀代のアタッカーは、現在39歳。長い年月で高い経験値を手にしたが、年齢を考えると代表復帰の可能性はほとんど残されていない。
