代表チームに名を連ねるということは、ごく一握りの選手に与えられた特権である。各選手は所属クラブでの活躍が評価されて代表に招集されるが、なかにはクラブで素晴らしい成績を収めているにも関わらず、不思議と縁がない選手も存在する。今回は、所属チームで活躍しながらサッカー日本代表にほとんど(もしくは全く)呼ばれなかった選手を10人ピックアップする。※データは『Transfermarkt』を参照。キャップ数はA代表のみ。[2/5ページ]
DF:新井場徹(あらいば・とおる)
生年月日:1979年7月12日
主な所属クラブ:ガンバ大阪、鹿島アントラーズ
代表キャップ:0試合0得点0アシスト
ガンバ大阪と鹿島アントラーズのクラブ史に残る左サイドバックといえば、“鉄人”新井場徹だ。
ガンバで公式戦通算165試合、鹿島では同368試合に出場。特に鹿島時代には国内タイトルを次々と獲得し、圧倒的な運動量で常勝軍団の攻守を支えた。
だが、所属クラブでここまでの存在感を示したにも関わらず、サッカー日本代表のキャップ数は何と「0」。A代表の一員としてピッチに立つことがないまま、2015年1月19日に現役引退を発表している。
ガンバユース出身の新井場は、先に述べたように公式戦165試合に出場するなど同クラブの主力として活躍した。
ただ、ガンバでタイトルを獲得することはできず、2004シーズンにはタイトルを獲るために鹿島への完全移籍を決断する。
この決断が当たり、鹿島では2007年から2009年にかけてリーグ3連覇を経験。ヤマザキナビスコカップ(現:JリーグYBCルヴァンカップ)や天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会といった主要タイトル制覇に大きく貢献した。
とはいえ、新井場は一度も日の丸を背負ってピッチに立たなかったわけではない。
ガンバユースの同期生である稲本潤一、“天才”小野伸二らと共にU-17日本代表の一員として1995 FIFA U-17世界選手権に出場。3試合でピッチに立っている。
また、2001年9月にはフィリップ・トルシエによって日本代表候補メンバー合宿に招集されており、A代表キャップを刻むチャンスは十分にあったと言える。
この合宿以降、新井場は後に自身の代名詞となる「サイド突破→高精度クロス」を度々披露。その経験が、キャリアの飛躍につながったのかもしれない。
