代表チームに名を連ねるということは、ごく一握りの選手に与えられた特権である。各選手は所属クラブでの活躍が評価されて代表に招集されるが、なかにはクラブで素晴らしい成績を収めているにも関わらず、不思議と縁がない選手も存在する。今回は、所属チームで活躍しながらサッカー日本代表にほとんど(もしくは全く)呼ばれなかった選手を10人ピックアップする。※データは『Transfermarkt』を参照。キャップ数はA代表のみ。[3/5ページ]
MF:田中隼磨(たなか・はゆま)
生年月日:1982年7月31日
主な所属クラブ:横浜F・マリノス、名古屋グランパス、松本山雅FC
代表キャップ:1試合0得点0アシスト
豊富な運動量と正確なクロス、そして魂のこもったプレーでサポーターから愛された田中隼磨も、サッカー日本代表とほとんど縁がなかった選手の1人だ。
2022シーズン限りで現役を引退した田中は、約22年におよんだプロキャリアの中で公式戦通算697試合に出場。横浜F・マリノスや名古屋グランパス、松本山雅FCといったクラブで記録と記憶に残るプレーを披露し続けた。
松本では、マリノス時代のチームメイトであり、2011年8月4日に他界した松田直樹氏の背番号「3」を継承。現役最後の日まで大切な番号を守り抜いた。
クラブレベルでは圧倒的な数字を残してきた田中だが、日本代表のキャップ数はわずかに「1」しかない。
2006年7月にイビチャ・オシム率いる日本代表に招集されると、同年8月9日のトリニダード・トバゴ代表戦で右サイドバック(SB)として先発フル出場。
結果的にこれがキャリア唯一の代表戦出場となってしまったものの、攻守両面で持ち味の運動量を発揮した。
当時の日本代表の右SBは、加地亮と駒野友一がしのぎを削る競争の激しいポジションだった。
圧倒的なスタミナで90分間上下動を繰り返すことができる田中であっても、レギュラー争いに食い込むのは容易ではなかったということだ。
ただ、右SBのみならず、より前のウイングバックやサイドハーフとしてもプレーできたユーティリティ性を踏まえると、代表キャップ数が伸びなかったのは些か不思議である。
