サッカー日本代表は3月、2026年ワールドカップ(W杯)北中米大会出場を世界最速で手中に収めた。全てのサッカー選手にとって「夢の舞台」であるW杯だが、クラブレベルで素晴らしい成績を残している選手でも、そこに到達するのは至難の業だ。そこで今回は、かつて日本代表で活躍した選手のうち、W杯本大会の出場経験がない実力者を紹介する。[2/5ページ]
FW:三浦知良(みうら・かずよし)
生年月日:1967年2月26日
日本代表成績:89試合55ゴール
岡田武史監督が放った「外れるのはカズ、三浦カズ」という言葉はあまりにも有名だ。
1998年フランスワールドカップ(W杯)本大会のメンバー発表で、カズは落選した。
事前合宿には25人の選手が招集されていたが、本大会メンバーとして登録できるのはそのうち22人であり、3選手がW杯への切符を失うことに。
最終的に市川大祐、北澤豪、そして三浦が本大会メンバーから漏れた。
当時31歳とベテランの域に入っていたとはいえ、三浦の落選は衝撃とともに受け止められた。
なぜなら、同選手は1990年にデビューを果たして以降、日本代表の中心メンバーとして君臨し続けてきたからだ。
「ドーハの悲劇」(1993年)でも、「ジョホール・バルの歓喜」(1997年)でも先発出場。日本サッカーの歩みとともにあった男が、初めてのW杯の舞台に立つことはなかった。
89試合55ゴール。これが三浦が日本代表で残した成績だ。
この記録は釜本邦茂氏に次ぐ、日本代表歴代2位のゴール数であり、もしW杯に出場していれば、日本サッカーの歴史を大きく変えていたかもしれない。
絶頂期にアメリカ大会を逃し、日本が初出場を果たしたフランス大会には届かなかった。
その後、三浦はフィリップ・トルシエ監督の下で日本代表として数試合プレー。2000年のジャマイカ代表戦で奪った得点が、代表でのラストゴールとなった。
