かつてセリエAで旋風を巻き起こしたACキエーヴォ・ヴェローナは、コロナ禍の2021年に消滅。しかし、クラブのレジェンドであるセルジョ・ペッリッシエールの尽力もあり、奇跡の復活を果たした。当然ながら、そこには壮大なストーリーがある。黄金期を築いた元会長の言葉などから、キエーヴォに起きた事実をたどっていく。(文:佐藤徳和)[1/2ページ]
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キエーヴォ・ヴェローナの消滅…救いの手を差し伸べたのは?
その集落は、シェイクスピアの悲劇『ロミオとジュリエット』の舞台として知られるヴェローナの中心から、北西に約4.5キロの地点に位置する。人口およそ4500人。ラテン語で「神秘的な丘」を意味する語に由来する地名を持つ、キエーヴォである。
21世紀初頭、セリエAに彗星のごとく現れたACキエーヴォ・ヴェローナによって、その名は一躍知られるようになった。このチームの躍進がなければ、この集落の名が、遠く離れた極東の日本はもとより、イタリア全土にまで広く知れ渡ることはなかったはずだ。
しかし、2021年8月、税務上の義務不履行を理由に、プロリーグからの参加資格を剥奪され、ACキエーヴォ・ヴェローナは名称が使用できなくなり、忽然と姿を消した。
救いの手を差し伸べたのが、クラブ最多出場記録を持ち、クラブが消滅する2年前の2019年に現役引退していたセルジョ・ペッリッシエールだった。
GKだったエンツォ・ザニンと共に、新たなクラブ、「キエーヴォの人々」を意味するFCクリヴェンセを立ち上げた。
イタリア・サッカー連盟(FIGC)のリーグ最下層にあたるテルツァ・カテゴリーア(9部リーグ)から、再出発を余儀なくされたが、2024年春、ACキエーヴォの商標を買収し、「ACキエーヴォ・ヴェローナ」の名を再取得した。
彼らの現在地、そしてクラブの黄金時代を築いた元会長、ルーカ・カンペデッリの声を届けたい。
キエーヴォの躍進。「ロバ」は「ペガサス」に
ACキエーヴォが設立されたのは1929年、当時の正式名称はオペラ・ナツィオナーレ・ドポラヴォーロ・キエーヴォというものだった。
ドポラヴォーロはアフターワークの意味で、労働後の余暇を楽しむためのクラブだったと推測できる。
それゆえ、クラブ創立に携わった人間には、70年の年月を経てセリエAの舞台にチームが立ち、旋風を巻き起こすことになるとは想像すらできなかっただろう。
長くアマチュアリーグを主戦場としたが、1986年に初めてプロリーグ、セリエC2に昇格。そして、ルーカ・カンペデッリの父、ルイージがクラブの会長に就任する。
地元出身の名士で、1968年にはパンドーロなどのお菓子の製造を手掛けるヴェローナの老舗菓子メーカー、パルアーニ社を買収。小規模経営の企業を国内でも有数の菓子メーカーへと成長させている。
しかし、ルイージは、1992年に61歳で急逝。クラブの経営は、当時まだ23歳の愛息、ルーカに託されることとなった。
ところが、ルーカがトップに立って以降、ACキエーヴォはさらに飛躍する。
93/94シーズンには、セリエBに昇格。ルイージ・デルネーリが指揮官に就任した00/01シーズンにはセリエBの3位に入り、望外のセリエA昇格を実現する。“キエーヴォの奇跡”を成し遂げることとなった。
それだけではない、昇格1年目には、開幕節でフィオレンティーナを撃破。インテルやラツィオからも白星を勝ち取った。
そして、エラス・ヴェローナとのダービー。84/85シーズンにセリエAのスクデットを獲得した彼らのサポーターには「ロバが空を飛んだらセリエAでダービーをやる」と揶揄されていた。ACキエーヴォは、この侮辱を逆手に取り、「空飛ぶロバ」をクラブのシンボルとしていた。
そのダービーが実際に実現し、ACキエーヴォはこの一戦に勝利した。最終的に5位でフィニッシュ。ロバは、ペガサスとなった。
まさかの破産宣告…一つの時代に幕
05/06シーズンはカルチョ・スキャンダルの余波を受け、7位から4位に順位が繰り上がり、クラブ史上初めてUEFAチャンピオンズリーグ(CL)出場権を得ることになった。
しかし、人口約5000人にも満たないクラブにとって、CLの舞台は明らかに荷が重かった。
予備予選3回戦でブルガリア最強クラブ、レフスキ・ソフィアに2戦合計2-4で敗れ、本戦出場を逃すと、リーグ戦でも超低空飛行が続き、初勝利は第13節のウディネーゼ戦まで待たなければならず。結局、勝ち点差1で残留圏にあと一歩及ばず、18位でセリエB降格の憂き目に遭ってしまった。
それでも、ロバは不死鳥に変貌を遂げ、1年でセリエAに返り咲き、再びトップリーグで足跡を残すこととなった。
この時代、ヴェローナのカルチョの主役は、紛れもなくACキエーヴォであった。だが、コロナ禍の2021年夏、激震が走る。
税務上の不履行を理由にプロリーグから除外。その後、破産宣告を受け、トップチームに限っては、活動が停止されることに。こうして、ACキエーヴォの一時代に幕が下ろされた。
当時の会長であったカンペデッリは、この処分に今も憤りを感じている。クラブの消滅から6年の沈黙を破り、『ラ・ガッゼッタ・デッロ・スポルト』のインタビューに答えた。
「多くの虚偽の後で、真実を回復することが正しかったからだ。父がいなければ、キエーヴォが存在することすらなかった。その父のため、家族のため、自分自身のため、そしてクラブの歴史のために話したい」
12月、ACキエーヴォについて一冊の書籍が上梓されている。そのタイトルは『キエーヴォ 完全犯罪』とセンセーショナルなものだ。
なぜこのようなインパクトのあるタイトルがつけられたのか。
それは、責任の所在が曖昧にされ、ACキエーヴォの存続が許されず、ACキエーヴォは「消された」のではなく「殺された」からだとカンペデッリは訴えている。

