
プロで消えた高校サッカーの元スーパースターたち【写真:Getty Images】
第104回全国高等学校サッカー選手権大会が開催されている。過去の大会では多くのスターが誕生した。その後、プロとして華々しいキャリアを積む選手がいた一方で、パッとしなかった選手もいる。今回は、選手権でインパクトを残しながらも、プロとして期待されたほどの活躍ができなかった選手をピックアップして紹介する。[3/5ページ]
——————————
DF:金古聖司(かねこ・せいじ)
生年月日:1980年5月27日
出身高校:東福岡高等学校(福岡)
主な在籍プロクラブ:鹿島アントラーズ、ヴィッセル神戸、アビスパ福岡
金古聖司は、第76回、第77回の全国高校サッカー選手権大会を連覇した東福岡高校の守備の要だった。
1997年の東福岡は、本山雅志らを擁し、選手権のほかにインターハイと全日本ユースも制し、史上初の高校3冠を達成している。
その歴史的なチームで2年生ながらレギュラーを務めていたのが金古である。
金古はセンターバックながら得点力も抜群で、準々決勝の逗葉高校戦では敵陣ほぼ中央からロングシュートを叩き込み、河村優(藤枝東高校)とともに大会得点王に輝いた。
その翌年は、主将としてチームをけん引し、連覇を達成する。
そんな金古は、世代別のサッカー日本代表の常連で、当時は高校生で唯一U-20日本代表に呼ばれるほど、フィリップ・トルシエ監督に高い評価を受けていた。
しかし、1999年、FIFAワールドユース(現U-20ワールドカップ)に向けた合宿中に左膝前十字じん帯断裂と半月板損傷の重傷を負い、鹿島アントラーズに加入したプロ1年目を棒に振る形となった。
このケガがその後のキャリアに影を落とし、以降もケガに苦しむシーズンが続くことに。
その後、2004年にJ1で22試合に出場するシーズンもあったが、長期的な活躍には至らなかった。
2009年からはアジアに活躍の舞台を移し、シンガポールのタンピネス・ローバーズなどで一定の活躍をおさめる。
しかし日本代表の中心選手になることを多くの人が信じていた選手であることを考えると、もっと輝かしいキャリアを送ることが期待されていたと言えるだろう。
