冬移籍は、ときに“チーム状況の悪化”と同時に始まる。低迷、指揮官交代、降格争い――立て直しの渦中に飛び込めば、順応よりも消耗が先に来る。日本代表の中心として期待を背負いながら、わずか半年で帰国した山口蛍の挑戦は、冬移籍の怖さを象徴する例と言える。※データは『Transfermarkt』を参照[5/5ページ]
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MF:山口蛍(やまぐち・ほたる)
生年月日:1990年10月6日
移籍先:セレッソ大阪→ハノーファー(ドイツ)
移籍日:2016年1月1日
山口蛍は、2014年のFIFAワールドカップ(W杯)・ブラジル大会に出場したサッカー日本代表で全3試合に出場した中心選手のひとりだ。
国内で研鑽を積んだあと、2016年1月に満を持して欧州へ渡る。しかし、その挑戦はわずか半年で終わりを迎えることとなった。
セレッソ大阪一筋のキャリアを送っていた山口だが、2015シーズンにJ2を戦い、昇格プレーオフ決勝で敗れてJ1復帰を逃したあと、ドイツのハノーファーへの加入が決まった。
当時の同クラブには、酒井宏樹と清武弘嗣が在籍しており、比較的スムーズな適応が期待された。
しかし、このシーズンのハノーファーは調子が優れず、シーズン前半戦を17位で折り返す厳しい状況だった。
山口の加入が発表された2015年12月21日には、ミヒャエル・フロンツェック監督の辞任が明かされ、クラブは動揺に包まれた。
ハノーファーはトーマス・シャーフ監督を迎えてリスタートを切り、山口は加入2試合目で先発の座をつかんだ。
しかし、新体制でもチームの状態は上向かず、翌年3月までのリーグ戦10試合で1勝9敗と散々な出来だった。
山口は3月の代表戦で鼻骨骨折および左眼窩底骨折の重傷を負い、そのままシーズンが終了。
ハノーファーは2部降格となり、セレッソ育ちのMFは6月に古巣復帰が決定した。
復帰後の山口は即座にレギュラーへ返り咲き、2016シーズンには昇格プレーオフ制覇に貢献。
さらに2019年にはヴィッセル神戸に加入し、クラブ初のタイトル獲得にも寄与した。
早い段階で日本に戻ってきたことで、日本で充実したキャリアを過ごしたと捉えることもできるだろう。
【著者プロフィール:編集部】
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