24/25シーズンのパルマでブレイクし、その後のリヴァプール移籍を掴み取ったジョヴァンニ・レオーニは、今やイタリアのみならず、世界が注目する若手となった。では、そこに至るまで、彼にはどのようなドラマがあったのだろうか。そして、大怪我により長期離脱している現在に、思うこととは。最新のインタビューなどから、伝えていく。(文:佐藤徳和)[1/2ページ]
——————————
彗星のごとく現れたジョヴァンニ・レオーニ
ジョヴァンニ・レオーニの名をイタリア全土に知らしめた2試合がある。いずれも舞台は、パルマの本拠地、スタディオ・エンニオ・タルディーニだった。
その一試合は、2025年4月23日、ユヴェントス戦。46番のユニフォームを身に纏った少年は、ドゥシャン・ヴラホヴィッチを完全に消し去り、1-0の勝利に貢献した。
『ラ・ガッゼッタ・デッロ・スポルト(以下、ガッゼッタ)』は、この一戦で最高の「7.5」を与え、「守備では一際存在感を放ち、まだ18歳に過ぎないが、クオリティと気持ちの強さを示した。確実に先手を取って対応し、良いアイデアで組み立てた」と評価した。
もう一戦は5月18日のナポリ戦。ロメル・ルカクとの真っ向勝負で完封。とりわけ、フィジカルモンスターを弾き飛ばしたシーンは圧巻だった。
スコアレスドローに終わったこの試合も「7」がつけられ、MOMに選出。
「ルカクと体をぶつけ合い、ほぼ常に勝利した。気持ちの強さ、闘志、クオリティを備える。まだ18歳だが、イタリア・サッカーの宝だ」
イタリアを代表するクラブとの一戦で、ワールドクラスのストライカーの2人を赤子の手を捻るように圧倒してみせた。
セリエAデビューを飾った昨シーズンは、17試合に出場し、第24節カリアリ戦で初ゴールをマーク。196cmの青年は夏のカルチョメルカートで、たちまち注目銘柄となった。
イタリアのビッグクラブがレオーニを狙わなかった理由
インテル、ミラン、ユーヴェも触手を伸ばしたが、争奪戦を制したのは、昨季のプレミアリーグ王者、リヴァプールであった。
移籍金は、3000万ユーロ(約54億円)に500万ユーロ(約9億円)のボーナスが加わるもの。まだ18歳の少年にとっては破格の金額であったが、彼のプレーを目にした者であれば、それが常軌を逸した数字ではなく、至極当然なものであると理解できたであろう。
『コッリエーレ・デッラ・セーラ』によると、北イタリアの3大クラブが獲得に乗り出せなかった理由は以下のようだった。
「インテルは、移籍を望まない選手たちの繰り返される拒否によって、移籍市場が事実上停止。手をこまねいている間に横取りされた。ミランはジェノアからベルギー代表の23歳、コニ・デ・ヴィンターを獲得する道を選んだ。
ユヴェントスは、フランス代表FWのランダル・コロ・ムアニ獲得交渉に集中していた(最終的にトッテナム・ホットスパーにレンタル移籍)。あるいは、イタリアのどのビッグクラブも、レオーニのような若手に投資するだけの資金力も、意欲も持ち合わせていなかったのかもしれない。この若者は、イタリアのサッカーにとって数少ない希望の一つと見なされているにもかかわらずだ」
スクデット獲得にしのぎを削る3つのクラブへの移籍は実現しなかったが、本人曰く、イタリア勢のクラブからは、「具体的なオファーはなかった」と述べている。
イングランドでのデビューは、9月23日に行われたカラバオ・カップ3回戦、サウサンプトン戦で訪れた。ジョー・ゴメスとのコンビで、センターバックとしてピッチに立った。
レオーニは良い試合をした。相手を抑え込み、大きな危険にさらされることは一度もなかった。アルネ・スロット監督は、今後使える目処が立ったと手応えを感じていたに違いない。
それはアンフィールドの観衆も同じ思いを抱いたことだろう。
しかし、1-1で迎えた79分、悲運に見舞われる。
「『あ、これだな』と思った」
右サイドで相手選手と交錯した際に、左ひざを負傷。レオーニは自力で立ち上がることができず、顔を手で多いながら、担架で運び出された。左ひざ前十字じん帯の断裂で、全治1年の診断だった。
レオーニは、『ガッゼッタ』のインタビューで回想している。
「チームメートのコナー・ブラッドリーに言ったんだ。『十字じん帯をやった』って。十字じん帯のケガは初めてだったけど、変な感覚があって、『あ、これだな』と思った。人生で味わった中で一番の痛みだった」
スロットにとって、大きな痛手となってしまった。オランダ人監督は、レオーニの加入直後、手放しで褒め称えていた。
「彼は18歳でここにやって来たのに、まるで昔からいる選手のようだ。長身で、スピードがあり、ボール扱いにも長けている。私たちは彼の中に、素晴らしい未来を持つ才能を見ているんだ」
そして、それは、8月にイタリア代表に招集していたジェンナーロ・ガットゥーゾ監督にとっても、予期せぬ“悲劇”となってしまった。
昨年12月21日に19歳の誕生日を迎え、最後の10代が始まったレオーニは、首都ローマの生まれだ。
それゆえ今もASローマのティフォーゾであるが、彼のサッカーの礎は、イタリア北部のヴェネト州パドヴァで育まれた。
幼い頃に父親の仕事の都合で、パドヴァへ転居した。両親はともに元水球選手。5人兄弟の次男で、そのうちの1人はマリ出身の養子であり、全員がスポーツに打ち込む家庭で育った。
規律や献身が彼を支えたが、実は、文字の読み書きに困難があるディスレクシアの障がいを抱えた子供だった。
「文章を読もうとすると、単語や文字が反転して見えたりした。音読させられるのは本当に大変だった。しゃべることにも苦手意識があったし、内気だったからずっと引っ込み思案だった。今ではだいぶ改善されたけどね」
問題を抱えながらも、イタリアの多くの子供たちと同じように、サッカーに情熱を注いだ。5歳の時に、パドヴァのクラブ、ヴィゴンティーナに入団した。
