24/25シーズンのパルマでブレイクし、その後のリヴァプール移籍を掴み取ったジョヴァンニ・レオーニは、今やイタリアのみならず、世界が注目する若手となった。では、そこに至るまで、彼にはどのようなドラマがあったのだろうか。そして、大怪我により長期離脱している現在に、思うこととは。最新のインタビューなどから、伝えていく。(文:佐藤徳和)[2/2ページ]
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レオーニのロールモデルは?
「『家の中のあらゆるものを蹴っていた』と母が言ってた。ボールから離れられなくてね。でも最初の頃は泣いてばかりで、ピッチに入るのが嫌だった。少しずつ馴染めるようになって、サッカーに熱中していった」
2015年には、当時セリエBを主戦場としていたASチッタデッラに引き抜かれる。中世に築かれた円形の城壁で名を馳せる美しい街のクラブだ。
そこからさらに、2018年にトップリーグで27回の参加を誇るカルチョ・パドヴァへと進む。幾多の一流選手を輩出したクラブである。その中でも、真っ先に名前が挙がるのはアレッサンドロ・デル・ピエロだ。
レオーニは、13歳ですでにU16のカテゴリーでプレーするほどの逸材だった。
指導者にも恵まれ、プロの道が開けた。セリエCではあったが、22/23シーズン、第33節のアルビノレッフェ戦でプロリーグの舞台に立つ。16歳3か月でのデビューは、このシーズンのイタリア全プロリーグにおける最年少選手であった。
デビュー直後のインタビューが、カルチョ・パドヴァの公式サイトに掲載されている。
「監督から『入れ』と言われた時は、少し緊張したよ。でも、それ以上に嬉しかった。ずっと夢見ていたことだったから」
最も恩を感じているのは、U-17時代の監督、ベッペ・アゴスティーニだ。
「一番多くのことを教えてくれた。選手としても、人としても大事なことを教えてもらった。彼がいつも言っている言葉がある。それは『サッカーがなくても、人生は素晴らしい』ということだ」
そのインタビューでは、モデルとしている選手の名前も挙げた。
「(フィルジル・)ファン・ダイクとクリス・スモーリング(当時はASローマ、現在はサウジアラビアのアル・フェイハ所属)からヒントを得ている」
現代サッカーにおいて、最も完成度の高いセンターバックの一人と評されるこのオランダ代表が所属するリヴァプールへ移籍を決断したことは、自然な成り行きだったのかもしれない。
サンプドリア移籍の経緯。それは本当に偶然だった
セリエCでの出場は前述のとおり1試合にとどまったが、2024年2月1日にサンプドリアにレンタル移籍(完全移籍のオプションが付随)した。
すると、移籍直後の3日、モデナFC戦でセリエBデビューを果たし、すぐにレギュラーに定着。それは、アンドレア・ピルロによる大抜擢だった。
「ピルロにとても強い愛情を抱いている。彼がいなければ、僕はリヴァプールにはいなかったはずだ。サンプに来た時、プリマヴェーラでプレーするはずだったが、彼はトレーニング2日後に僕をトップチームに招集し、最初の試合で僕をピッチに立たせてくれた」
セリエCでは1試合しか出場機会が得られなかったが、その上位カテゴリー、セリエBでは、先発出場9回、途中出場3回もピッチに立つ機会に恵まれた。
サンプがレオーニを獲得した経緯は偶然だった。当時、テクニカルディレクターを務めていた元ユヴェントスDFのニコーラ・レグロッタッリェが明かしている。
「すべてはアグスティン・アルバレス・マルティネス(現ACモンツァ)の代理人のおかげで始まった。我々はアルバレスをUSサッスオーロからサンプへ連れてくる件をまとめようとしていたが、その代理人はレオーニも担当していて、レオーニを我々に提案してきた。
当初は彼をプリマヴェーラに合流させ、トップチームでトレーニングできる可能性も残すつもりだった。しかし、近くで見た途端、私とアンドレア・マンチーニ・スポーツディレクター、ピルロは、何かがおかしいと悟った…。
なぜ彼のようなクオリティとポテンシャルを持つ少年が、まだプリマヴェーラ2(カルチョ・パドヴァ時代)でプレーしているのかと自問した。実際、サンプではセリエBでいきなりデビューした。信じられないほどのクオリティを持ち、それは最初の瞬間から見て取れた。私は16、17歳のあのような少年を見たことがなかった」
称賛は続く。
「デビュー戦では20分ほど出場し、その後には先発でプレー。レギュラーの座をつかみ取った。我々が、『軽く3000万ユーロは超えるプレミアリーグクラスのポテンシャルだ』と最初に言ったことは間違いではなかった」
しかし、サンプドリアは、シーズン終了後、パルマ・カルチョにあっさりと売却してしまう。これにはレグロッタッリェが首を傾げる。
大怪我から時が過ぎ、今何を思うのか
「彼を獲得するために私たちが使ったのは150万ユーロ(約2.7億円)、ふざけた金額だ。その後、サンプは700から800万ユーロ(約12億円~約14億円)でレオーニを売った。妥当な金額だが、私ならはそうしなかっただろう。
レオーニは、少なくとももう1年はサンプでレギュラーとしてプレーできた。そうすればみんなが彼を見て、1500万ユーロ(約27億円)以上で売却できたはずだ。私が2024年の夏にサンプを去った時、ジョヴァンニはまだサンプの選手だった。その後に(ピエトロ・)アッカルディが私の後釜となって、彼がこのオペレーションをやったのだと思う。彼の移籍がどう進んだのかは分からない」
こうしてサンプからパルマ・カルチョに移籍し、17歳でセリエAデビューを飾った。
クリスティアン・キヴがシーズン途中に新監督に就任してからは、レギュラーの座に定着。市場価値は着実に上がっていった。そして、2025年夏のリヴァプールへの移籍である。
レオーニの手術を担当したのは、2020年に右ひざ前十字じん帯を断裂したファン・ダイクの執刀医だった。ファン・ダイクは手術を経てピッチに復帰し、その後は再発することなくプレーを続けている。
同じ部位を手術し、順調に回復して第一線で活躍している選手が身近にいることは、レオーニにとって大きな支えとなっているようだ。
負傷から3か月が過ぎたが、リハビリはまだ道半ばだ。復帰を目指し、プールやジムで粛々とトレーニングに励むレオーニの今の思いとは、どのようなものなのだろうか。
「パルマに残っていれば、どうだったかという考えは一度も思わなかったし、『誰かが自分に悪意を持っていたからケガをした』なんてことも考えなかった。自分自身に言っているんだ。『これは、自分をより強くするために起きたことなのだ』と。
僕は先のことを見据えるのが苦手でね。今はただ、メンタルを鍛えることだけを考えている。2年前から、クリスティアン・ヴィオラというメンタルコーチと週1回のペースで取り組んでいる。
毎週木曜日に彼のもとへ行くか、電話でカウンセリングを受けている。目標へのイメージトレーニングや、呼吸法、試合中に集中力を保つためのメンタル強化に取り組んでいるんだ」
彼には、焦燥感も後悔もない。常に恩師が与えてくれた「サッカーがなくても、人生は素晴らしい」という言葉が胸の中にあるのだろう。
それが過度のプレッシャーを感じさせることなく、人生を謳歌させているに違いない。
レオーニは語る。「人生はまだ僕にたくさんのものを与えてくれる」
ケガを乗り越えた“レオンチーノ”(小さなライオンの意)のプレーが、今から楽しみでならない。
(文:佐藤徳和)
【著者プロフィール:佐藤徳和】
1998年にローマでの語学留学中に、地元のアマチュアクラブ「ロムーレア」の練習に参加。帰国後、『ポケットプログレッシブ伊和・和伊辞典』(小学館)の制作に参加し、イタリア語学習書などの編集、校正、執筆に携わる。2007年から、フリーランスとして活動し、主にイタリア・サッカー記事のライティングに従事。2014年には、FC東京でイタリア人臨時GKコーチの通訳を務める。IL ROMANISTA、日本特派員。『使えるイタリア語単語3700』(ベレ出版)、『イタリア語基本の500単語』(語研)を共同執筆。日伊協会では、カルチョの記事を読む講座を開講中。X:@noricazuccuru
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【了】
