
危険すぎる賭け!? W杯半年前に移籍したサッカー日本代表【Part1】【写真:Getty Images】
FIFAワールドカップ2026(W杯)開幕まで約半年となった。この時期の移籍は、選手にとって難しい。環境を変えることで出場機会を失い、W杯メンバー入りに向けた説得力が薄れるリスクもあるからだ。しかし、過去にはW杯を目前に控えた中で覚悟の移籍を決めた選手が何人もいる。今回は、W杯半年前に移籍を決断したサッカー日本代表をピックアップ。その後の運命などを振り返ろう。[3/5ページ]
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DF:田中マルクス闘莉王(たなか・まるくす・とぅーりお)

2010年日本代表の田中マルクス闘莉王【写真:Getty Images】
生年月日:1981年4月24日
移籍:浦和レッズ→名古屋グランパス
移籍日:2010年1月1日
南アフリカW杯メンバー:選出
守備陣の要として南アフリカ開催の2010 FIFAワールドカップ(W杯)に出場した田中マルクス闘莉王は、本大会の半年前に大きな賭けに出た。
6シーズン在籍した浦和レッズを離れて名古屋グランパスに完全移籍するという決断は見事に当たり、“闘将”は南アフリカW杯メンバーの座を勝ち取っている。
W杯イヤーの前年となる2009シーズン、闘莉王はベテラン選手の処遇をめぐる方針で浦和フロント陣やフォルカー・フィンケ監督と対立。浦和側は契約更新に動いたものの、結局両者が手を取ることはなかった。
慣れ親しんだ浦和で継続的に試合へと出場していた方が、南アフリカW杯メンバーの座はより安泰だったのかもしれない。だが、闘莉王の真骨頂と言えば燃えたぎる勝利への欲求である。
入団会見時の「リーグ優勝できなければ名古屋に来た意味はない」という言葉からも、W杯行きを目指して“置きに行く”選択をせずに、あくまでタイトル獲得を優先したことがうかがえる。
名古屋加入後、闘莉王はドラガン・ストイコビッチ監督の信頼を得て主力センターバック(CB)として活躍。南アフリカW杯メンバーにも無事選出され、岡田ジャパンのベスト16進出に大きく貢献した。
もしも不満がくすぶるまま浦和に残留し、プレーレベルを落としていたとしたら、本大会で中澤佑二とCBコンビを組んでいたのは別の選手だったかもしれない。
なお、W杯終了後も好パフォーマンスを披露し続けた闘莉王は、最終的に名古屋をJ1初優勝へと導いている。