
危険すぎる賭け!? W杯半年前に移籍したサッカー日本代表【Part2】【写真:Getty Images】
FIFAワールドカップ2026(W杯)開幕まで約半年となった。この時期の移籍は、選手にとって難しい。環境を変えることで出場機会を失い、W杯メンバー入りに向けた説得力が薄れるリスクもあるからだ。しかし、過去にはW杯を目前に控えた中で覚悟の移籍を決めた選手が何人もいる。今回は、W杯半年前に移籍を決断したサッカー日本代表をピックアップ。その後の運命などを振り返ろう。[4/5ページ]
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FW:齋藤学(さいとう・まなぶ)

2016年日本代表の齋藤学【写真:Getty Images】
生年月日:1990年4月4日
移籍:横浜F・マリノス→川崎フロンターレ
移籍日:2018年1月12日
ロシアW杯メンバー:落選
ロシア開催の2018 FIFAワールドカップ(W杯)出場を見据え、齋藤学は大きな決断を下した。
ユース時代から所属してきた横浜F・マリノスを離れ、川崎フロンターレへの加入を選択したのだ。
この“禁断の移籍”は多くの憎悪を生むことになったが、果たして齋藤はリスクに見合うだけのリターンを得られたのだろうか。
ユース時代からマリノスでプレーしていた齋藤は、期限付き移籍した愛媛FCでの武者修行を経て飛躍的に成長。“ハマのメッシ”とも呼ばれた切れ味鋭いドリブルは、マリノスの明るい未来を予感させるものだった。
2017シーズンにはクラブレジェンドの中村俊輔が前年まで着用していた「背番号10」を受け継ぎ、キャプテンにも就任した。
だが、同シーズンは右膝前十字靭帯を損傷し、長期にわたり戦線離脱。2017年9月下旬以降の公式戦を全休した。
そうした状況の中、ロシアW杯を半年後に控えて焦りがあったのかもしれない。齋藤は10番とキャプテンマークをかなぐり捨て、川崎に完全移籍で加入することを決めた。
同じ神奈川県を本拠地とするライバルへの移籍に加え、契約期間満了にともない移籍金がゼロだった点も影響し、齋藤はマリノスサポーターから強烈な非難を浴びながら新天地へと旅立った。
背水の陣で臨んだ川崎での新シーズン、齋藤は怪我から復帰後もなかなか試合に絡めずに苦戦。W杯による中断期間に入るまで、J1リーグで6試合しか出番がなかった。
当然、ロシアW杯メンバーからも落選。しこりを残す形でマリノスを飛び出したものの、後に残ったのはW杯出場を逃した現実と古巣サポーターからの敵意だけだった。