FIFAワールドカップ2026(W杯)開幕が近づく中、サッカー日本代表選手に怪我人が相次いでいる。これまで主力として活躍してきた実績があったとしても、コンディションが戻らなければ、当然ながら大舞台の切符は掴めない。実際、過去にも、メンバー入り当確とされながら、怪我により直前でW杯行きを逃した選手は多い。今回はそうした悲劇に見舞われた日本代表を紹介しよう。[3/5ページ]
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DF:田中誠(たなか・まこと)
生年月日:1975年8月8日(当時30歳)
逃したワールドカップ:ドイツ大会(2006年)
当時所属クラブ:ジュビロ磐田
すべてのサッカー選手の夢の舞台に、田中誠はあと一歩届かなかった。
静岡県出身の田中は、清水商業高校卒業後にジュビロ磐田に加入。1994年にプロデビューを果たすと、2008シーズンまでの15年間に渡って磐田でプレーした。
磐田では公式戦通算460試合に出場し、12ゴール3アシストを記録。1998年と2002年にはJリーグベストイレブンに選出され、磐田の最終ラインに欠かせない存在として君臨し続けたレジェンドである。
そんな田中は、2004年に日本代表デビュー。1996年のアタランタオリンピックでU-23日本代表のレギュラーだった同選手だが、A代表デビューは28歳と比較的遅咲きの部類に入る。
それでもジーコ監督の信頼を掴み、日本代表の3バックに定位置を確保した田中は、2006年のFIFAワールドカップ(W杯)・ドイツ大会への出場が近づいていた。
そして、大方の予想通り、大会に臨む日本代表メンバーに名を連ね、大会直前にドイツのボンで行われた合宿に参加することになった。
しかし、田中はこの合宿中のアクシデントにより、W杯への切符を奪われることになる。合宿中に左ももの筋肉を痛め、大舞台を目前に帰国を余儀なくされた。
守備の要を失ったジーコ監督は急遽、当時ハワイでリフレッシュしていた茂庭照幸をドイツに招集した。

