FIFAワールドカップ2026(W杯)開幕が近づく中、サッカー日本代表選手に怪我人が相次いでいる。これまで主力として活躍してきた実績があったとしても、コンディションが戻らなければ、当然ながら大舞台の切符は掴めない。実際、過去にも、メンバー入り当確とされながら、怪我により直前でW杯行きを逃した選手は多い。今回はそうした悲劇に見舞われた日本代表を紹介しよう。[4/5ページ]
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FW:高原直泰(たかはら・なおひろ)
生年月日:1979年6月4日(当時22歳)
逃したワールドカップ:日韓大会(2002年)
当時所属クラブ:アイントラハト・フランクフルト(ドイツ)
高原直泰には2002年、4年に一度の祭典を目前にして不運が襲い掛かった。
高原は1998年にジュビロ磐田に加入。プロ1年目からリーグ戦20試合に出場して5ゴールを記録するなど、高い得点力と抜群の攻撃センスを発揮した。
その後も、プロ2年目の1999シーズンはリーグ戦21試合9ゴール、2000シーズンは同24試合10ゴール、2001シーズンは同13試合8ゴールと得点を量産。磐田の点取り屋として評価を確立し、2001年にはボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)への期限付き移籍も経験している。
そんな高原は日本代表メンバーとして、2000年のアジアカップ優勝に貢献。2002年のFIFAワールドカップ(W杯)・日韓大会にも日本のエースストライカーとして出場が期待されていた。
しかし、高原は大会2ヵ月前にエコノミークラス症候群を発症。これにより、W杯に臨む日本代表メンバーから落選した。本人の落胆と失望は想像に難くない。
それでも、高原は立ち直る。復帰後、磐田ではトップパフォーマンスを披露し、リーグ戦では25ゴールを奪ってチームの優勝に貢献。この活躍により、2002シーズンのリーグ最優秀選手賞、得点王、ベストイレブンに選出された。
その後、リベンジに燃えるストライカーはドイツに活躍の場を移し、2003年にはハンブルガーSV、2006年にはアイントラハト・フランクフルトに完全移籍。
2006年に開催されたW杯・ドイツ大会の日本代表メンバーに選出され、悲願だった大舞台のピッチを踏んでいる。

