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なぜ? 2006年、日本代表で輝けなかった5人の名手。ジーコに評価されなかった男たち

シリーズ:日本代表で輝けなかった5人の名手 text by 編集部 photo by Getty Images


2006年、日本代表で輝けなかった5人の名手【写真:Getty Images】



 ジーコ監督率いる日本代表は2002年に発足し、2006年ドイツワールドカップをもって終焉を迎えた。その間、様々な選手が名将の下でプレー。中村俊輔や玉田圭司らが存在感を放った。一方で、活躍できなかった選手もいる。今回は、ジーコジャパンにおいて輝けなかった5人の選手を紹介する。[2/5ページ]

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DF:田中マルクス闘莉王(たなか・まるくす・とぅーりお)

田中マルクス闘莉王
日本代表の田中マルクス闘莉王【写真:Getty Images】


生年月日:1981年4月24日
日本代表成績:43試合8得点
ジーコジャパン成績:0試合0得点

 サンフレッチェ広島でプロデビューを飾り、2003年に期限付きで加入した水戸ホーリーホックで、田中マルクス闘莉王は一気に注目を集めた。

 2004年に加入した浦和レッズでは勢いがさらに加速し、パワフルなディフェンスを武器に最終ラインの要に君臨。同シーズンの2ndステージ優勝に貢献し、ベストイレブンにも選出されている。

 そして翌2005シーズンも、ベストイレブンに名を連ねることになった。



 その非凡な活躍、また2003年に日本国籍を取得していたこともあり、ジーコジャパン入りが期待される。

 しかし、セレソンのレジェンドである男の下でコンスタントに招集されたセンターバックの人材は中澤佑二、宮本恒靖、田中誠、坪井慶介といった面々だった。

 2005年のFIFAコンフェデレーションズカップでは中澤が、2006年のFIFAワールドカップ(W杯)ドイツ大会では田中がそれぞれ負傷離脱したが、いずれも追加招集を受けたのは茂庭照幸と、浦和で活躍していた男にスポットライトが当たることはなかった。

 ジーコジャパンはドイツW杯で1勝もできずグループリーグ敗退。同大会終了後、ジーコは日本代表指揮官の座を降り、バトンはイビチャ・オシムへと引き継がれることに。

 すると、オシム監督の初陣となったゲームで、浦和不動の守備職人は日本代表デビュー。以降、コンスタントに日の丸を背負うようになり、2010年のFIFAワールドカップ(W杯)南アフリカ大会では、ベスト16入りの立役者になった。

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