
インタビューに応じるFC町田ゼルビアFDの原靖【写真:編集部】
20年以上に渡って計4クラブで辣腕を振るってきた原靖。クラブによって異なる事情、様々な監督や経営者の間で、原氏はどのように立ち振る舞ってきたのか。現在はFC町田ゼルビアでフットボールダイレクター(FD)を務める原のキャリアを、全3回に渡る連載で振り返っていく。(取材・文:元川悦子)※本文敬称略[2/2ページ]
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清水エスパルスでの日々「もっとこうしておけばよかった」

ベガルタ仙台に敗れ降格決定した清水エスパルス【写真:Getty Images】
そうやって調整役として努力を続けたが、思うような結果が出なかった。清水は2015年にJ1・17位に沈み、クラブ創設以来初のJ2に降格。原も強化部長を辞任する。2016年は業務委託契約を結び、社長付きシニアダイレクターという肩書で活動する形になり、チームが1年でJ1復帰を決めると、2017年には新役職のスポーツダイレクター(SD)に就任。2018年まで活動したが、オリジナル10の名門がタイトルを手にすることはなかった。
「僕が行った頃の清水は若返りを進めていた時期。大前元紀くんや高木俊幸くん、石毛秀樹くん、北川航也くんといったメンバーが育ってきたんです。アカデミーからの生え抜きの杉山浩太くん、山本海人くん、山本真希くんなんかもいましたけど、彼らを軸にしつつ、大分のように若手の足りないところをベテランや外国人選手で埋めて、タイトル争いができればいいというビジョンがクラブにあったんですが、なかなか思うようには行きませんでしたね。
そこで鄭大世くんや角田誠くんのようなベテランを取って何とか立て直そうと試みたんですけど、J2に落ちてしまった。1年で復帰はしましたけど、なかなか方向性が定まらなかったところがあった気もします。やっている当時はビジョンを持って強化に取り組んでいたつもりでしたけど、やっぱり振り返ってみると、『もっとこうしておけばよかった』という後悔はあります。
それに清水はサッカー王国なんで周りからのプレッシャーもすごかった。そこは大分とは比較にならないものがありました。彼らに優勝という結果をもたらせず、本当に力不足を感じていますが、僕としては凄まじいサッカー熱のあるクラブで8年間も強化に携わらせてもらえて、本当に学ぶことが多かった。悔しい思いを含めて、自分の糧になっています」
非常に頑固かつ実直な原が、サッカー界の偉大な人材を数多く輩出した清水で強化トップとして長く働くというのは、確かに異例のこと。そういうクラブを強くし、つねにタイトル争いができるようにする難しさも体感できたのは、本当に大きな財産以外の何物でもない。彼はこの経験値を生かすべく、2019年に3つ目のクラブ・ファジアーノ岡山へ赴いたのである。(3に続く)
(取材・文:元川悦子)
【著者プロフィール:元川悦子】
1967年、長野県生まれ。94年からサッカー取材に携わり、ワールドカップは94年アメリカ大会から2022年カタール大会まで8回連続で現地に赴いた。「足で稼ぐ取材」がモットーで、日本代表は練習からコンスタントに追っている。著書に『U-22』(小学館)、『黄金世代』(スキージャーナル)、「いじらない育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(NHK出版)、『僕らがサッカーボーイズだった頃』シリーズ(カンゼン)などがある。
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