2026 FIFAワールドカップ(W杯)は、アメリカ合衆国、メキシコ、カナダが共同で開催する。だが、出場権を獲得しているイラン代表は、現在、開催国の一つであるアメリカとの間で軍事的な緊張が急激に高まっており、大会参加を見送る可能性が浮上している。サッカーを愛する人の夢の舞台「W杯」。過去に出場権を得ながらも辞退という苦渋の決断に至った背景とその理由を紹介する。[4/5ページ]
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ポルトガル代表
辞退したワールドカップ:1950 FIFAワールドカップ(ブラジル大会)
最新FIFAランキング:6位
第二次世界大戦後初のFIFAワールドカップ(W杯)となった1950年のブラジル大会は、多くの国が参加を辞退する混沌の大会だった。
現在、世界屈指の強豪として知られるポルトガル代表も、実はこの大会の「招待」を断り、歴史の表舞台に立つ機会を自ら放棄していた。
欧州予選で隣国スペインに敗れ、一度は本大会出場への道を断たれたポルトガル。しかし、他国の出場辞退が相次いだことを受け、国際サッカー連盟(FIFA)はポルトガルサッカー連盟に招待状を送った。
だが、ポルトガル代表は、大西洋を渡って遠くブラジルまで選手を派遣する費用を問題視。当時のW杯は、今日のような世界最高峰のイベントとしての権威を確立しておらず、莫大な資金を投じてまで参加する価値があるのかという判断になり、参加見送りを決断したとされる。
ポルトガルが初めてW杯の土を踏むのは、この決断から16年後の1966年イングランド大会まで待たなければならない。
そこでは伝説のストライカー、エウゼビオの爆発的な活躍でいきなり3位に食い込み、世界を驚かせた。
その後ルイス・フィーゴら「黄金世代」の台頭、そしてクリスティアーノ・ロナウドの登場によってW杯の常連国となったのは周知の通りだ。
しかし、1950年当時のポルトガル代表もまた、優れたタレントを擁していた。
特にスポルティングCPで中核を成したヘスス・コレイア、マヌエル・バスケス、フェルナンド・ペイロテオ、アルバーノ、ジョゼ・トラバッソスの5人は華麗な連係から「シンコ・ビオリノス(5つのバイオリン)」と称されていたほどだった。
国際舞台でもその優雅な調べを堪能したいと願っていたポルトガル国民も多いことだろう。

