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セリエA 1日前

一体なぜ? イタリア代表では輝けなかったレジェンド10人【Part1】定着できなかった懐かしの名手たち

シリーズ:編集部フォーカス text by 佐藤徳和 photo by Getty Images

イタリア代表
一体なぜ? イタリア代表では輝けなかったレジェンドたち【写真:Getty Images】



 数々のタイトルを獲得してきたイタリア代表には、常に世界最高峰の才能が集ってきた。その一方で、クラブレベルでは伝説的な実績を残しながらも、輝く機会に恵まれなかった名手たちも存在する。なぜ彼らは代表に定着できなかったのか。今回は10人の選手をピックアップして紹介する。[4/5ページ]
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DF:アレッサンドロ・ルカレッリ

アレッサンドロ・ルカレッリ
パルマなどで活躍したアレッサンドロ・ルカレッリ【写真:Getty Images】



生年月日:1977年7月22日
主な所属クラブ:パルマ
イタリア代表通算成績:なし

 港町で工業都市であり左派の町としても知られるリヴォルノの生まれ。闘争心に富んだ左利きのセンターバック。空中戦に強く、とりわけセットプレーでその威力を発揮し、高い得点能力も備えていた。

 地元で名を馳せるクラブ、アルマンド・ピッキでサッカーを始め、2歳年上の兄クリスティアーノとともに、幼少期から「ルカレッリ兄弟」として知られる存在だった。

 16歳の頃にピアチェンツァのユース部門に引き抜かれる。その2年後にはトップチーム入りを果たしたものの出場機会はなく、プロデビューはレンタル移籍した当時セリエC2レッフェ(現在のアルビノレッフェ)で実現。



 その後、ピアチェンツァに復帰し、セリエAの舞台に足を踏み入れ、パレルモ、ブレッシャ、フィオレンティーナ、リヴォルノ、レッジーナ、ジェノアを渡り歩く。

 転機が訪れたのは、2008年に移籍したパルマ。31歳から10シーズンにわたり、ジャッロブルー(パルマの愛称)でプレーし、13/14シーズンからは主将を務めた。

 クラブが破産し、セリエD(4部リーグ)からの再出発を余儀なくされた2015年以降も残留し、クラブの再建に尽力した。

 40歳で迎えたセリエBの17/18シーズンに見事、3年連続となる昇格でセリエA復帰を勝ち取り、トップリーグ復帰を置き土産に現役引退を決断。現役引退後もクラブに幹部として留まり、クラブの立て直しに大きな役割を果たした。

 クラブの最多出場記録(340試合)を持ち、着用していた背番号「6」はクラブの永久欠番となっている。

 イタリア代表には、アンダー世代から無縁だった。一つ上にはアレッサンドロ・ネスタら優れたセンターバックがいたこともあるが、ブレイクが30歳を過ぎたパルマ時代であったことも、代表に呼ばれなかった要因の一つであろう。

 ただ、技術もさながら、傑出した不屈の精神を備えていたプレーヤーだっただけに、代表の舞台でその勇姿を目にすることができなかったのは残念でしかない。

 また、兄のクリスティアーノは、U-21の10試合に出場し、U-21欧州選手権予選では8ゴールをマーク。ただ、A代表では、6試合の出場で3ゴールと、クラブでの実績をふまえると、物足りない結果と言わざるを得ない。

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