1980年代後半から2000年代前半にかけて黄金期を築いたイタリア・セリエA。中田英寿や中村俊輔といったレジェンドも同舞台で輝くなど、日本人に馴染みの深いクラブが多かった。しかし、そこから深刻な財政難を理由に、現在はかつてのような存在感を失ってしまったクラブも目立つ。今回は、そのようなクラブをピックアップ。輝かしい歴史と、あまり知られていない“今”を伝える。第1回はレッジーナ。(文:佐藤徳和)[2/2ページ]
中村俊輔獲得による大きな成果
自ら来日し、横浜のホテルで行われた交渉は難航したものの、最終的に300万ドルで移籍を成立させた。ナカムラを獲得したクラブは、商業面でも成果を上げる。
クレディ・スイス銀行が150万ドルでクラブスポンサーとなり、日本で行われたプレシーズンマッチも同額の収益をもたらした。
さらに、中村のユニフォームは爆発的な売上を記録し、クラブに大きな利益をもたらすこととなった。
商業面だけでなく、中村の加入は、技術面でも大きな影響を与え、とりわけ、左足から繰り出すセットプレーは、相手チームにとっての大きな脅威となった。
10番を背負った中村のほか、長身ストライカーのエミリャーノ・ボナッツォーリや小兵アタッカーのダヴィド・ディ・ミケーレ、レッジーナにおいて、唯一のイタリア代表選手となったジャンドメニコ・メスト、中村との共演が光ったブラジル人MFモザルト、底なしの運動量で守備を支えたMFカルロス・パレデス、中村に10番の背番号を譲ったカピターノで、クラブのセリエA最多出場を誇るフランチェスコ・コッツァといった個性的な選手を数多く擁し、セリエAの戦いを大いに盛り上げた。
02/03シーズン以降、レッジーナはセリエAに留まり続けていたが、2006年のカルチョーポリにより、激震が走る。
審判への影響力行使などの不正が発覚し、ユヴェントスが優勝を剥奪されるなど、複数のクラブが勝ち点減点処分を科された。
残留を目標とするクラブであるレッジーナにとって、勝ち点11ものペナルティーは、“死刑宣告”に等しいものだった。
ところが、このシーズン、ヴァルテル・マッツァーリが指揮したレッジーナは勇ましい戦いを見せる。
とりわけ、後半戦では、引き分けが多かったものの、確実に勝ち点を積み重ね、第31節からは、“無敗街道”を歩んだ。
敗れれば降格の可能性もあった最終節では、4日前にUEFAチャンピオンズリーグ(CL)を制していたミランを2-0で破り、スタディオ・オレステ・グラニッロはスクデットを獲得したような熱狂に包まれた。
「アマチュアリーグを戦うレッジーナを見るのは非常に辛い」
それでも、小規模のクラブの宿命である降格は避けられず、08/09シーズンは19位に終わり、トップリーグから転落。クラブ創立100周年となる2014年にはセリエCとさらにカテゴリーを落とした。
この間、2013年11月にフォーティはレッジーナの会長職を退いたが、2014年10月、再び会長に復帰。だが、2015年夏には、数百万ユーロ規模の債務を抱えていたことから、その結果クラブは破産へと追い込まれた。
フォーティは、健康上の問題もあって会長職を辞任し、それからクラブの経営に携わることはなかった。
そのフォーティは現在のレッジーナについて、「アマチュアリーグを戦うレッジーナを見るのは非常に辛いが、私は今も変わらずレッジーナとサッカーを愛している」と語っている。
生粋のレッジーノ(レッジョ・ディ・カラーブリア生まれの人)として、プロリーグの下位の戦いを強いられているクラブの戦いを見るのは耐えられないのだろう。
10/11シーズンにセリエBに返り咲いたものの、レッジーナは2023年、期限内に税金の未払い分を納付できなかったため、23/24シーズンのセリエBから除外された。
これを受け、一旦は「レッジーナ」の名称が使用不可能となり、市の公募により新たなクラブ、「深紅色の不死鳥」を意味する「ラ・フェニーチェ・アマラントASD」が設立され、セリエDに特別枠で登録された。
2024年5月、オーナー側は司法競売において「レッジーナ 1914」の商標を落札し、イタリア・サッカー連盟(FIGC)からも正式な認可を得て、「レッジーナ」の名称を取り戻している。
23/24シーズンは、セリエDのグループIで4位に入り、プレーオフに進むが、シラクーサ・カルチョとの決勝に敗れ、昇格を逃した。
昨季は2位でフィニッシュし、今度はプレーオフも制したが、昇格のための優先順位に入ることができず、またしてもプロリーグ復帰の夢は絶たれた。
レッジーナは数少ない希望
そして、セリエD3年目の今季、チームは首位アスレティック・クラブ・パレルモ(2012年創設、パレルモFCとは異なるクラブ)と勝ち点4差の4位につける。
昇格プレーオフ出場圏内ではあるが、1位にならなければ、様々な条件が要求されるため、昇格の道は厳しい。残り6試合での自動昇格を目指す。
2023年から会長を務め、クラブの40%の株を所有するヴィルジーリオ・サルヴァトーレ・ミンニーニティは『ガッゼッタ・デル・スドゥ』のインタビューでこう語る。
「できるだけ早く満員のグラニッロを見たい。結束した雰囲気の中で、サポーターに誇りをもたらすレッジーナを実現したい」
今季は、海の向こうのACRメッシーナとの宿敵の一戦も復活したが、セリエAで名勝負を繰り広げた戦いも、セリエDの舞台とあって、かつての光景とはほど遠い。
2月15日に開催されたグラニッロでの9年ぶりの“海峡ダービー”には、7,100人のサポーターが足を運んだが、セリエA時代に2万人以上ものファンでスタジアムが埋まった光景を記憶している人にとっては寂しさが募るばかりだ。
レッジョ・ディ・カラーブリアは治安も悪く、貧困に苦しむイタリア南部の中でも、とりわけ生活環境の厳しい都市の一つである。
イタリア紙『イル・ソーレ・ヴェンティクアットロ・オーレ』が発表した2025年の調査では、「生活の質」ランキングで2年連続の最下位となった。
97位のパレルモ、104位のナポリをも下回る107位である。
そのような厳しい現実の中で暮らす人々にとって、レッジーナは数少ない希望の一つだ。
まずはプロの舞台への復帰を果たし、そして、かつてのようにセリエAへと返り咲くこと。
それは単なる昇格ではなく、街の誇りと自尊心を取り戻す戦いでもあるのだ。
(文:佐藤徳和)
【著者プロフィール:佐藤徳和】
1998年にローマでの語学留学中に、地元のアマチュアクラブ「ロムーレア」の練習に参加。帰国後、『ポケットプログレッシブ伊和・和伊辞典』(小学館)の制作に参加し、イタリア語学習書などの編集、校正、執筆に携わる。2007年から、フリーランスとして活動し、主にイタリア・サッカー記事のライティングに従事。2014年には、FC東京でイタリア人臨時GKコーチの通訳を務める。IL ROMANISTA、日本特派員。『使えるイタリア語単語3700』(ベレ出版)、『イタリア語基本の500単語』(語研)を共同執筆。日伊協会では、カルチョの記事を読む講座を開講中。X:@noricazuccuru
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