スコットランド代表が28年ぶりにFIFAワールドカップ(W杯)に戻ってくる。その立役者となったのが、同じ1994年生まれのアンドリュー・ロバートソンとジョン・マッギンだ。10代で味わった苦しい逆境を跳ね返してきた2人の歩みは、長い低迷を乗り越えたスコットランド代表の姿そのものでもある。祖国のフットボール文化に根付く精神とともに、代表復活の物語を追う。(文:安洋一郎)[1/2ページ]
15歳でユースから放出となったロバートソン
ロバートソンは15歳のとき、身体が小さいという理由でセルティックの下部組織を放出されている。
移籍先は当時アマチュアクラブだったクイーンズ・パークFC。スコットランド4部でプレーしていた。
同年代の選手が次々とプロ契約を結ぶ中、ロバートソンはアマチュア契約のままだった。時には両親からお金を借り、生活費を稼ぐため、スーパーのレジ打ちや造園の仕事をしていたという。
一時は体育教師を目指すために大学への進学も考えていたそうが、彼の人生はピッチ上で大きく変わる。
クイーンズ・パークではFWローレンス・シャンクランドとのホットラインでアシストを量産。2013年夏にダンディー・ユナイテッドへ移籍すると、瞬く間に頭角を現した。
2014年には代表デビュー。翌年にはプレミアリーグのハル・シティへと引き抜かれ、やがてリヴァプールの一員として数々の主要タイトルを手にすることになる。
キャリアの岐路に立ったマッギン
一方のマッギンも、若い頃は順調とは言えなかった。
17歳でセント・ミレンのトップチームに昇格したものの、当時のポジションだった左SBでは出場機会を得られなかったのだ。
転機は中盤へのコンバートだった。2012/13シーズン途中にポジションを一列上げると、一気にレギュラーへ定着した。
それでもキャリアは決して順風満帆ではない。2014/15シーズンにはトレーニング中の事故による負傷とチーム降格が重なり、移籍先が見つからない苦しい時期を経験している。
自らMLSのヒューストン・ダイナモを率いていたオーウェン・コイルへ電話を掛けて売り込みを行ったものの、外国人枠の関係で移籍は実現しなかった。
マッギンはこの時期を「キャリアで最もつらい時間だった」と振り返っている。
それでも2015年にハイバーニアンへ移籍すると状況は一気に好転する。スコットランド屈指のMFへと成長し、2018年にはアストン・ヴィラへ加入した。
加入1年目にはプレミアリーグ昇格を経験し、現在はキャプテンとしてクラブを牽引。2023/24シーズンには42年ぶりとなるチャンピオンズリーグ出場権をもたらした。
逆境を越えてきたスコットランド代表
スコットランド代表を象徴する2人のスターは、共に10代で大きな挫折を味わっている。
そして、それは決して彼らだけではない。
W杯出場を決めた昨年11月に行われたデンマーク代表との大一番では、多くの“苦労人”がピッチに立っていた。
43歳でゴールマウスを守ったGKクレイグ・ゴードンは、膝の大怪我によって2012年から2年間も無所属の時期を過ごしている。
FWリンドン・ダイクスは、若い頃はラグビーとサッカーの二刀流だった。セミプロとしてプレーしながらスポーツ用品店で働いていた過去を持つ。
彼に代わってピッチに入り、得点を挙げたシャンクランドも、かつて配管資材会社でアルバイトをしていた経験を持つ選手だ。
逆境を乗り越えてきた選手がこのチームには多い。
その根底にはスコットランドの文化があるだろう。代表の紋章に11輪描かれている国花の「アザミ」は、踏まれても枯れることなく、強い生命力と鋭い棘で身を守る花だ。
その不屈の魂を象徴する存在が主将のロバートソンと副主将のマッギンである。
セルティック・パークのパイ屋台で出会った2人の少年は、いまや祖国の歴史を動かした。
長い暗黒期を越えたスコットランド代表は、彼らとともに新しい物語を歩み始めている。
(文:安洋一郎)
【著者プロフィール:安洋一郎】
1998年生まれ、東京都出身。高校2年生の頃から『MILKサッカーアカデミー』の佐藤祐一が運営する『株式会社Lifepicture』で、サッカーのデータ分析や記事制作に従事。大学卒業と同時に独立してフリーランスのライターとして活動する。現在は『フットボールチャンネル』をはじめ複数のwebメディアや欧州名鑑などに寄稿。12歳からアストン・ヴィラを応援し、プレミアリーグを中心に海外サッカー全般を追っている。Xアカウント:@yoichiro_yasu
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