プレミアリーグからの降格危機に瀕するトッテナム・ホットスパー。クラブは、現状を打開すべく、新監督にイタリア人のロベルト・デ・ゼルビを招へいした。“小さなグアルディオラ”とも呼ばれる戦術家は、どういう人物なのか。今の彼を作り上げたキャリアを振り返っていく。(文:佐藤徳和)[1/2ページ]
ロベルト・デ・ゼルビが愛するクラブ
ロベルト・デ・ゼルビ。46歳のイタリア人は2026年3月31日、プレミアリーグで降格圏の17位に沈むトッテナム・ホットスパーの新監督に就任した。
指導者としての彼の哲学を知る者は多いが、現役時代にどのようなプレーヤーだったかを知る者は多くない。“小さなグアルディオラ”は、どのようなキャリアを築いてきたのだろうか。
デ・ゼルビは、1979年6月6日、ロンバルディーア州でミラノに次いで2番目に人口の多いブレッシャで生を受けた。州都ミラノからは東へ約80キロの距離にあるイタリア有数の工業都市である。
それゆえ、彼の心のクラブは、この街と同名のクラブである。父、アルフレードはサポーターズクラブの会長を務める人物で、彼の“本拠地”は当然のごとく、住まいと同じ地区にあるスタディオ・マリオ・リガモンティであった。
昨年5月に破産し、クラブ名はブレッシャ・カルチョから、ウニオン・ブレッシャへと変更を余儀なくされたが、デ・ゼルビの思いは変わらない。今も時間が許す限り、スタジアムに足を運んでいる。
かつてのイタリアの多くの子どもたちがそうであったように、ロベルト少年もまた、オラトーリオ(教会付属の児童施設)が運営するクラブで、サッカーを楽しんだ。
転機が訪れたのは、1994年。ミランのスカウトの目にとまり、イタリア屈指の名門に引き抜かれる。類まれなテクニックを擁し、”小さなジェニオ(天才)”の異名を取った。
才能はピカイチ。しかしミランでは…
というのも、当時ミランで“ジェニオ”と呼ばれていたのが、デヤン・サヴィチェヴィッチだったからだ。また、その当時チームメイトだったズヴォニミル・ボバンからは、“タレント(才能)”と呼ばれていた。
これだけのエピソードで、デ・ゼルビがどれだけ優れ、将来を嘱望された選手だったと想像できるだろう。利き足は左足で、フリーキックを得意とした。
ミランのプリマヴェーラ(下部組織)時代をともに過ごしたロレンツォ・ロッセッティが、スポーツ紙『ラ・ガッゼッタ・デッロ・スポルト』で、デ・ゼルビの当時を回想している。
「魔法のような曲がり方をしていた。練習後もピッチに残って何本も蹴っていた。彼はサッカーに生きる人間だった。それにミニゲームで負けるなんてもってのほかだった! 常に勝ちたがっていた。こういったメンタリティーは、彼は常に持っていたんだ」
勝負にこだわる飽くなき執念を備えていたことが伺える。
「間違いなくエレガントなプレーをしていた。当時はまだ成長途中で、小柄で軽かったが、なんというクオリティーを持っていたことか。左足で、ピッチを支配していた。どれだけ挑んでも、ボールを彼から奪うことは決してできなかった」
育成世代では圧倒的だった。あのボバンが“タレント”と称したことも頷ける。
トップチームには1997年夏のプレシーズンに帯同することとなる。ファビオ・カペッロが指揮したチームだ。
だが、デ・ゼルビは、夏のテストマッチには出場したが、チームに残ることはできなかった。
1996/97シーズンは11位、1997/98シーズンは10位に終わり、低迷期にあったとはいえ、10番を背負っていたサヴィチェヴィッチやボバン、レオナルドらが在籍した“天才”の集まりのようなチームであった。
そのようなチームに18歳のデ・ゼルビには居場所はなかった。
こうして、彼は、下位リーグを主戦場とするクラブに移り、“長い旅”に出る。
移籍先を転々。そしてついに夢のクラブへ
ACモンツァ、カルチョ・パドヴァ、コモ1907、再びカルチョ・パドヴァ、USアヴェッリーノ、カルチョ・レッコ。いずれも、セリエBからセリエC2を戦いの場としていたクラブだ。
“天才”と称された若者には、あまりにも寂寞とした舞台であった。
ミランのトップチームでは、公式戦で一度もロッソネーリのユニフォームを身にまとうことなく、カルチョ・フォッジャに完全移籍。ミランとは同じカラーの赤と黒で、マスコットも同じ悪魔であったが、彼らのステージは、日の目が当たらないセリエC2であった。
2年目のシーズンには、10得点をマークして、グループCでの優勝に貢献。セリエC1でも5点を奪った。
ACモンツァ以来となるセリエBのクラブとなったSSアレッツォでは4得点、さらに05/06シーズンにはセリエBのカターニャFCに移籍し、7得点。セリエA昇格の原動力となった。
そして、SSCナポリへの移籍である。06/07シーズンはセリエBであったが、5年契約と期待を伺わせる異例の長期契約だった。
1年目はその期待に応え、30試合に出場してセリエA昇格に尽力した。だが、自身初のトップリーグでは、力を発揮できず、冬のカルチョメルカートで活躍の場を移す。心のクラブ、ブレッシャ・カルチョである。
移籍から2試合目、アウェイでのピアチェンツァ・カルチョ戦。父と共に抱いてきた夢を実現させる。
愛するクラブの一員としてのゴールを決める。しかし、インパクトを残したのはこの一撃だけだった。
