昨今、確かな能力を持った若手が早々に海外クラブへと挑戦するケースは少なくない。若い頃から欧州で実績を積めば、早期のステップアップも容易になるだろう。しかし、海外移籍には大きなリスクも付きまとう。今回は早期の海外移籍に失敗し、その後のキャリアにも影響してしまった選手をピックアップして紹介する。
MF:安部裕葵(あべ・ひろき)

【写真:Getty Images】
生年月日:1999年1月28日
移籍先:鹿島アントラーズ→バルセロナB(スペイン)
移籍日:2019年7月15日(当時20歳)
バルセロナB通算成績:28試合4ゴール0アシスト
安部裕葵が20歳でスペイン名門の一員となったとき、プレーすらできない状況に陥るとは、いったい誰が予想しただろうか。
安部は瀬戸内高校卒業後に鹿島アントラーズに加入すると、プロ2年目の2018年にJ1で22試合に出場し、同年のJリーグベストヤングプレーヤー賞を受賞している。
翌年からは、これまで多くの名選手が背負ってきた10番を託され、クラブの新たなスターとして注目された。
そんな中迎えた2019シーズンの途中、安部は日本サッカーファンを驚愕させることとなる。バルセロナBへの完全移籍が発表されたのだ。
トップチームではなく下部組織からのスタートとなったものの、安部がカンテラで好成績を収めることが出来れば、いずれ超ビッグクラブで活躍する日本人を見ることが出来る…。そう沸き立った日本サッカーファンは少なくなかったのではないだろうか。
しかし、加入した19/20シーズンからまずまずの成績を収めていた安部だったが、同シーズン冬に負った大腿二頭筋の怪我が、彼のサッカー人生に大きな影を落としてしまった。
この怪我は完治しても、復帰直後に再発してしまい、それを何度も繰り返したことで、2020年以降はまともにプレーすることすらできなかった。その怪我以降、バルセロナBでの安部の出場はわずか8試合に留まっている。
結局、安部は十分にアピールすることが出来ず、2023年夏に浦和レッズへと加入し、Jリーグに復帰することとなった。
しかし、浦和加入から2年が経った現在も、同クラブでの公式戦出場は未だない。未来を嘱望されていた安部も、今や26歳。このままで終わってはいけない。
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