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キャリアの黒歴史…? 早期の海外移籍に失敗した日本人選手(4)怪我がなければ…。誰もが認めていた「ガラスの天才」

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

 昨今、確かな能力を持った若手が早々に海外クラブへと挑戦するケースは少なくない。若い頃から欧州で実績を積めば、早期のステップアップも容易になるだろう。しかし、海外移籍には大きなリスクも付きまとう。今回は早期の海外移籍に失敗し、その後のキャリアにも影響してしまった選手をピックアップして紹介する。

MF:宮市亮(みやいち・りょう)

再掲載 宮市
【写真:Getty Images】

生年月日:1992年12月14日
移籍先:中京大中京→アーセナル(イングランド)
移籍日:2011年1月30日(当時18歳)
アーセナル通算成績:7試合0ゴール0アシスト

 宮市亮ほど「ガラスの天才」という言葉がふさわしい選手はいないだろう。

 年代別日本代表の常連だった宮市は、中京大中京でもその才能をいかんなく発揮し、高校卒業後にJリーグを経由することなくアーセナルへと加入した。

 当時は高校から海外挑戦というケースはほとんどなく、そのなかでイングランドの名門へ加入した宮市は、大きな注目を集めた。

 アーセナル加入直後にレンタル移籍で加入したフェイエノールトではリーグ戦12試合の出場で3ゴール5アシストを記録。欧州の舞台でも活躍できることを示した同選手には、大きな期待があった。

 しかし、その後の宮市は怪我と隣り合わせのサッカー人生を歩むこととなる。

 12/13シーズンに期限付きで加入したウィガン・アスレチックで右足首の靱帯を痛めてから、満足にプレーできないまま、2015年夏にアーセナルとの契約満了を迎えてしまった。

 5年間の在籍で、トップチームの公式戦に出場したのはわずか7試合のみ。将来を嘱望されたスピードスターにとって、この期間は苦しい日々となってしまった。

 その後、ザンクトパウリへと加入した同選手だが、苦難の日々の終わりはまだ見えない。

 加入直後に左ひざ前十字靭帯を断裂し長期離脱を余儀なくされると、2017年には反対の右ひざ前十字靭帯を断裂してしまい、ザンクトパウリ在籍6シーズンでまともに稼働できたのは、終盤の2シーズンのみだった。

 そんな宮市は2021年夏に自身初となるJリーグへの参戦を決断し、横浜F・マリノスへと加入した。

 2022シーズンはEAFF E-1サッカー選手権の日本代表メンバーに選出されるほど好調を維持していたが、韓国代表との一戦で右ひざ前十字靭帯を再度断裂してしまった。

 それでも、復帰後はスーパーサブとしてチームに貢献し、昨季は自己最多となるリーグ戦32試合に出場した。

 今季からは右サイドバックという新境地も開拓し、プレーの幅を広げている。選手生命が危ぶまれるほどの怪我を繰り返してもなお、第一線で戦い続けるそのプロ根性には、頭が下がる思いだ。

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【了】

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