アーセナルのブカヨ・サカ【写真:Getty Images】
デイヴィッド・ローカッスル、イアン・ライト、そしてブカヨ・サカへ——。「ブラック・アーセナル」と呼ばれるその系譜は、単なる偶然でも、美談でもない。受け継がれてきた思想と覚悟の物語だ。いかにしてノース・ロンドンに拠点を置くサッカークラブ、アーセナルFCが英国における黒人性のアイコンとなったかをに迫る『ブラックアーセナル』の訳者・山中拓磨に「受け継がれるバトン」についてを寄せてもらった。(文:山中拓磨 )
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結果で勝ち取った評価
アーセナルにはローカッスル以前にもブレンダン・バトソンやヴィヴ・アンダーソンといった黒人選手が在籍していたことがあり、ローカッスルがアーセナル初の黒人選手というわけではなかったが、彼は、アーセナルのバッジを身につける資格に人種など関係ないということを、身をもって証明した最初の世代の選手のひとりだった。
当時のイングランドには黒人選手に対し「気まぐれ」「守備をしない」「チームの中核にはなれない」といった偏見がまだ残っていたが、1980年代後半、ジョージ・グレアムがローカッスル、ポール・デイヴィス、マイケル・トーマスという黒人選手3人を中盤に据えたチームで圧倒的な結果を残し、リーグ優勝を果たしたことで、その見方は少しずつ変わり始めた。
デイヴィスは低い位置からゲームをコントロールしてパスでボールを前進させ、トーマスはよりダイナミックなボックストゥボックス型のMFとして攻守両面に活躍した。
そしてローカッスルは、右サイドから中に入り、フィジカルと創造性を駆使し、チームに違いを生んだ。
彼らは黒人選手が時折ドリブル突破を見せる単なるチームのアクセント以上の存在となれる、ということを証明したのだ。
すべてを変えたイアン・ライト
その後ローカッスルは怪我の影響もあって不振に陥り、1992年にはチームを去り、その後2001年、悪性リンパ腫により33歳という若さでこの世を去るという悲劇も起きた。
しかし彼が残したものは、いまもアーセナルとサッカー界に息づいており、彼はアーセナルにイアン・ライトという「贈り物」も残した。
ローカッスルとほぼ入れ違いのような形でクリスタル・パレスからアーセナルへと加入したライトだが、ふたりはともに南ロンドン出身の幼馴染であり、幼少期からともにサッカーをプレーし、ミルウォールやクリスタル・パレスの試合を観戦して育った関係だった。
イアン・ライト自身が「ローカッスルがアーセナルでプレーするようになったから、アーセナルを応援し始めた」と語っているし、彼との絆がなければライトのアーセナル移籍も実現していなかった可能性すらある。
ライトは21歳までアマチュアでプレーしており、パレスでの台頭後アーセナル加入が27歳、という例外的に遅咲きのキャリアを送りながらその圧倒的な得点力で、当時のアーセナルクラブ歴代最多得点記録を更新する、という偉業を成し遂げた(いまもティエリ・アンリに次ぐ歴代2位の得点数記録を保持している)。
だが、イアン・ライトが人々を魅了し、英国社会を変えてしまうほどのインパクトを与えたのは、ピッチ上でのプレーだけではなく、その人間性が理由だった。
彼は、「白人男性中心のサッカー界に適応して成功した」のではなく、黒人としての個性や表現を隠すことなく前面に出し、それ自体を肯定しながら成功したという点で、これまでの選手たちと一線を画す存在だった。
スター選手として成功した時期がプレミアリーグ創立とサッカーの大規模な商業化のタイミングと重なったこともあり、リーグの顔となったライトの姿はイングランド中に放映され、当時はスーツを着用するのが当たり前だった記者会見にレザージャケットとキャップ姿で臨んだりと、常に自分らしさを重視するその姿勢はイギリス中の共感を呼び、特に社会の中での居場所のなさを感じ続けていた黒人のサッカーファンを勇気づけた。
そして現在へ
ローカッスルやライト、そしてソル・キャンベルやティエリ・アンリといった選手たちを経てアーセナルの黒人選手とファンのアイコンという系譜はブカヨ・サカへと確かに受け継がれている。
かつて「アーセナルのスターボーイ」と呼ばれた彼も24歳になり、押しも押されもせぬアーセナルとイングランド代表のスターだ。
たゆまぬ努力と闘いの上に築かれた環境のおかげで、サカだけでなく、すでにイーサン・ヌワネリやマイルズ・ルイス=スケリーといった下の世代の選手たちの物語も紡がれ始めている。
イアン・ライトは以前「黒人の選手がタイトルを獲得するチームの一員であることの意味の大きさ」について語ったが、今季のアーセナルは2026年1月時点でプレミアリーグ首位を走り、近年では最もリーグ優勝に近づいている。
現代において、それが1990年代のように社会を変えてしまうほどのインパクトを持つとは限らない。だが、先人たちの遺産を引き継ぎ、そのバトンを未来へとつなぐブカヨ・サカが北ロンドンに優勝杯をもたらすことができれば、アーセナルファンやクラブの黒人コミュニティにとって、それが象徴的な意味を持つことになるのは間違いないだろう。
(文:山中拓磨)
『ブラックアーセナル』
クライヴ・チジオケ・ヌウォンカ 編纂、マシュー・ハーレ 編纂、山中拓磨 訳
定価3,850円(本体3,500円+税)
ガナーズはなぜ「黒人性」のアイコンとなったのか?
イアン・ライトからブカヨ・サカまで――
時に交わり、時に分かれるアーセナルFCの黒人アイデンティティの変遷
本書はいかにしてノース・ロンドンに拠点を置くサッカークラブ、アーセナルFCが英国における黒人性のアイコンとなったかの物語だ。1960年代のもっとも初期の兆候からグローバルな団体としての目覚ましい台頭まで「ブラックアーセナル」は黒人としてのアイデンティティとクラブとのつながり、そしてそれがメディア、音楽、ファッション、政治といった領域にいかに拡大していったか、という観点からアーセナルと現代的な黒人カルチャーの関係性を探訪しようとする史上初の試みである。
【了】
