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「意見をなかなか聞いてくれない監督」「もっとこうしておけばよかった」原靖が調整役として奮闘した日々【Jリーグ強化担当という生き方2】

シリーズ:コラム text by 編集部 photo by Getty Images

自身のキャリアを振り返るFC町田ゼルビアFDの原靖
インタビューに応じるFC町田ゼルビアFDの原靖【写真:編集部】



 20年以上に渡って計4クラブで辣腕を振るってきた原靖。クラブによって異なる事情、様々な監督や経営者の間で、原氏はどのように立ち振る舞ってきたのか。現在はFC町田ゼルビアでフットボールダイレクター(FD)を務める原のキャリアを、全3回に渡る連載で振り返っていく。(取材・文:元川悦子)※本文敬称略[1/2ページ]

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経営難に陥る大分トリニータ


2009年の大分トリニータ

2009年の大分トリニータ【写真:Getty Images】

 2008年のヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)制覇という大仕事をやってのけ、「大分トリニータの強化部長」として確固たる地位を得た原靖(FC町田ゼルビア)。しかしながら、ご存じの通り、大分は2009年に経営危機が表面化。同年J1ラスト3試合はホームゲーム運営が困難になるという異例の事態に直面した。

 結果として、大分トリニティ創設時から経営トップを務めていた溝畑宏社長と原強化部長が同年末に相次いで辞任。チームもJ2に降格し、西川周作、森重真人、金崎夢生ら主力級が次々と移籍し、一気に下降線を辿ることになってしまった。

「大分は地方クラブなので、スポンサー獲得が生命線なんです。ですが、イベント会社の未払いが生じたり、パチンコホール運営会社がJリーグ規定に抵触するために撤退するなど、難しい状況が続きました。



 ユニフォームの胸スポンサーが入っていない時期もありましたけど、1つスポンサーが離れるだけで経営に与えるダメージは非常に大きい。そのへんはJSL時代からの老舗クラブには想像できないほどのインパクトでしたね。

溝畑さんが離れた後、僕もしばらく浪人生活を強いられました。その間には強化担当だった吉岡(宗重)を鹿島、スカウトの片野坂(知宏)もガンバ大阪にそれぞれ送り出すなど、仲間のサポートにも携わりました。あの時は本当に辛い気持ちでいっぱいでした」と彼は神妙な面持ちで言う。

 ドリームチームを維持できず、原自身も地元クラブを離れることになり、悔しい思いをした原。2011年に赴いたのが、2008年のナビスコ決勝の宿敵・清水エスパルスである。当時の清水はメインスポンサー・鈴与から赴いた早川巌社長が経営トップを担っており、その人物から直々にオファーが届いたのだという。

岡崎慎司の移籍を巡り起きたトラブルの真相

2010年清水エスパルス時代の岡崎慎司
2010年清水エスパルス時代の岡崎慎司【写真:Getty Images】

「早川さんはあのナビスコ決勝であいまみえた大分のサッカーには面を食らったようです。清水も素晴らしいメンバーが揃ったチームでしたし、『自分たちが負けるはずがない』と考えていたと思うので、サプライズに映ったんでしょう。もともと溝畑さんとも懇意にされていたこともあり、『原さんが大分を離れているのなら、ウチに来てくれないかな』という話をしていたようで、いろんな縁があって、清水に行くことになったんです」

 こうして新天地に赴くことになった原。清水は2010年限りで長谷川健太監督が離れ、アフシン・ゴドビ監督が就任。また、岡崎慎司の移籍騒動の真っ只中であり、FIFAへ提訴する事態にまで発展した。原もいきなりこの大騒動の渦中に身を投じることになったのである。



 当時の岡崎は2011年アジアカップに参戦中。大会直後にシュツットガルトへ赴いたが、その間に契約が進んだということで、清水としては「期間が重複している」という認識だったのだ。移籍市場の慣例としてこういうケースがあるのは事実だが、清水側は納得いかなかったのだろう。強化部入りしたばかりの原が対応しなければならなくなったのである。

「私自身の移籍早々に、多くの仕事を抱えることとなりました。岡崎くんの移籍についてもなかなか折り合わず、FIFAへの提訴まで行ってしまいました。最終的には上訴する段階で決着がついたんですが、実際に交渉に携わる人間としてはかなり大変だったですね」と彼は苦笑する。

 大分の溝畑社長、清水の早川社長と、ともに傑出した存在感のある組織のトップだったが、原はそういう人物に好かれる傾向があるようだ。2023年から働いている町田の藤田晋社長にしてもカリスマ的なリーダーだ。彼らの考えに耳を傾け、調和を図りながら、必要なアクションを起こせるインテリジェンスと調整力が彼の仕事を支えているに違いない。

苦労したゴドビ監督「今だったら少し難しいようなアプローチ」

清水エスパルスの指揮を執ったゴドビ監督
清水エスパルスの指揮を執ったゴドビ監督【写真:Getty Images】

 それは監督との関係性においても同じ。清水ではゴドビ、大榎克己、田坂和昭、小林伸二という4人の指揮官とひざを突き合わせてチーム強化を進めていったが、特に自分の色を強く押し出すゴドビ監督は難しかったのではないか。

 彼はある時から若手を重用するようになり、小野伸二、高原直泰という地元・静岡を代表するベテラン選手を蚊帳の外に置くこともあった。関係者やサポーターからも賛否両論が沸き起こったが、そのマネージメントに対しても、原は強化トップとして真摯に向き合い、可能な限り、ハレーションが起きないように努めていたのである。

「ゴドビさんは非常に頑固な監督だったので、確かに苦労はしました(苦笑)。『こういう選手を取ってくれ』という要求も強かったので、予算のことを説明して理解を促したり、本当にしっかりコミュニケーションを取るように心がけました。



 ゴトビさんで印象深いのは、選手の体脂肪率を細かく測り、オーバーした選手がいたら、肉の塊の写真を見せて『お前はこのくらい余計な肉がついているんだ』と苦言を呈したこと(笑)。今だったら少し難しいようなアプローチだったかもしれません。

 それでも、欧州の戦術的規律、フィジカルベースといった部分を前面に押し出したという意味では特筆すべきものがありました。2002年の日韓ワールドカップ(W杯)で韓国、2006年ドイツW杯でオーストラリアを成功へと導いた(フース・)ヒディングさんと一緒にやっていた人なので、日本サッカーにいい部分を持ち込んだのは間違いない。

 当時はスペインサッカーが最先端を走っていて、ボールをつなぐことが重視されていたので、少し時代的に早かったかもしれませんが、先鞭をつけたのは確かです」と彼は2010年代前半の日々を振り返る。

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