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そして原靖はFC町田ゼルビアにやってきた。「『1年でJ1昇格』と藤田晋さんから言われたわけではない」【Jリーグ強化担当という生き方3】

シリーズ:コラム text by 編集部 photo by Getty Images

インタビューに答える原靖FD
インタビューに応じるFC町田ゼルビアFDの原靖【写真:編集部】



 大分トリニータ、清水エスパルス、ファジアーノ岡山、FC町田ゼルビアと、原靖は人の縁に導かれるように異なる4つのクラブで強化担当を歴任。20年以上、個性豊かな経営者や監督の間に立ち、クラブの浮沈にかかわる重要なかじ取り役を担ってきた。そんな原のキャリアを、全3回に渡る連載で振り返っていく。(取材・文:元川悦子)※本文敬称略[1/2ページ]

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原点回帰のファジアーノ岡山着任。「いい意味で隙がない」

2022年のファジアーノ岡山
2022年のファジアーノ岡山【写真:Getty Images】

 大分トリニータ、清水エスパルスで15年以上、強化の仕事に携わったFC町田ゼルビアの原靖。彼が強化部長として2019年に赴いた3つ目のクラブがファジアーノ岡山である。

 岡山は2009年からJ2に参戦し、2016年には岩政大樹らを擁してJ1昇格プレーオフ決勝まで勝ち上がったものの、最高峰リーグにあと一歩、手が届かないまま、長く2部で戦い続けていたのだ。

 そういうチームを最高峰リーグに引き上げるのは難しいタスク。ただ、原が強化畑に身を投じた頃に面倒を見てもらった鈴木徳彦氏が代表取締役GMを務めており、非常に風通しがよかったのは確かだろう。



「それまでいたクラブに比べると予算規模が小さかったのは事実です。でも僕自身、すごく新鮮味がありました。木村正明オーナーや徳さんが作られたチームだったので、『純粋に勝ちたい』『強くなりたい』という選手が集まっていて、いい意味で隙がなかったんですよね。岡山という町のカラーにすごくマッチした編成になっていました。

 僕は4年いたんですけど、2019~21年が有馬賢二監督、2022年が今の木山隆之監督でした。選手は喜山康平くん、上田康太くん、濱田水輝くんらが中心で、後から木村太哉くん、柳育崇くんなんかも入ってきましたね。物凄く真面目な選手がばかりで、僕自身も原点回帰できた気がしました」と彼はガムシャラに上を目指していた当時の岡山を述懐する。

 ただ、2020~2022年にコロナ禍に見舞われたこともあり、J1昇格は叶わなかった。特に2022年はクラブ史上最高のJ2・3位になり、プレーオフにも参戦したが、1回戦で6位だったモンテディオ山形に敗れてしまった。

「時間が足りなかった」ファジアーノ岡山のベースを築いた4年間

J1昇格を決めたファジアーノ岡山
J1昇格を決めたファジアーノ岡山【写真:Getty Images】

「岡山のユースが強くなって、高円宮杯プレミアリーグU-18に昇格したのは、その後だったんです。大分時代のようにユース昇格組や高卒新人を大きく伸ばして強くするといったアプローチを進めるには時間が足りなかったのは確かです。

 ただ、岡山時代には限られた資金力の地方クラブがどうしたら強くなるのか、どんな施策が一番有効なのかを真剣に模索した。徳さんという敏腕GMが身近にいたことで、思い切ってやれた部分もありました。

 その成果が3位という結果につながった。上がれませんでしたけど、『お金がない』とか『施設が揃っていない』という言い訳をせず、愚直に取り組めたのは本当に大きなこと。岡山から学ばせてもらったことは本当に少なくないですね」と原は改めて感謝する。



 その後、岡山は2024年のプレーオフ決勝でベガルタ仙台を撃破し、2025年にJ1初参戦。13位でフィニッシュし、J1定着への布石を打った。次世代のスター候補である佐藤龍之介や小倉幸成らにも選ばれるクラブになったが、そのベースを鈴木氏や原が作ったのは間違いないはずだ。

 そして2023年。原は町田で現在の職務に就くことになった。きっかけは当時の大友健寿社長からの誘い。大分時代の後輩が大友社長と面識を持つ間柄で、そこから接点が生まれて、オファーが舞い込むに至ったのだ。

 ご存じの通り、町田は2018年にサイバーエージェントグループの傘下に入り、運営会社が変わって急成長を遂げていた。2023年には青森山田高校時代に圧倒的な強さを誇った黒田剛監督が就任。そのタイミングで原も加わることになったのである。

 原は一足飛びにJ1初昇格を果たした3年前を述懐する。

「黒田さんのサッカーといかにして融合するか」「何で差別化すべきか」

2023年のエリキとミッチェル・デューク
2023年のエリキとミッチェル・デューク【写真:Getty Images】

「町田に行って最初に考えたのは、大分、清水、岡山のいいところを全部取っていこうということ。Jリーグクラブの置かれた環境は本当にさまざまです。資金的に潤沢でない中、クラブ全体で夢を共有しながらタイトルを狙いに行くのか、予算規模を縮小して若手中心の編成に切り替えていくのか、破格のスピードでトップにのし上がりたいのか…。どの道を選ぶのかはクラブの考え方次第ですよね。そこをしっかりと見極めていくことが、成長への最重要ポイント。町田ではそういう足跡を残したいという思いが少なからずありました。

 ただ、僕が入った時点で『1年でJ1に上がってくれ』と藤田さんから言われたわけではなくて、『J2よりもJ1でやっていた方が、コンテンツ的に大きな意味合いがある』という言い方をされました。

 黒田さんも徹底した勝負師ですから、勝ちにいくのは分かっていた。でも、2022年にJ2・15位だったチームを最高峰リーグに引き上げるのは簡単じゃないのも事実ですよね。

 そこで、何で差別化すべきかと自問自答したところ、ストライカーじゃないかという考えに行きついた。そこでエリキとミッチェル・デュークを取りましたけど、黒田さんのサッカーとも必ず融合すると。



 実際にシーズンが始まって、ここまでうまくいくとは思わなかった(笑)。クラブの成長・チーム強化・監督の采配・選手の仕事ぶりと全部がマッチして、1年で一気に昇格へとこぎつけることができた。経験者ならわかるであろう非常に難しいミッションでしたが、今、改めて振り返ってもそう感じます」

 当時、黒田監督に対しては「高校サッカー出身の指揮官がプロでうまくいくとは限らない」といった懐疑的な見方が根強かった。それを指揮官は見事なまでに逆境を跳ねのけ、2024年J1でも開幕からリーグ戦を力強くリード。優勝まであと一歩というところまでチームをけん引し、2025年には天皇杯制覇という偉業を達成するに至った。

「僕は藤田さんの意見、黒田さんの考えにはつねに耳を傾けていましたし、寄り添うことを大事にしていました」と彼らへのリスペクトを忘れず、献身的にサポートすることに徹したのだ。

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