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セリエA 22時間前

一体なぜ? イタリア代表では輝けなかったレジェンド10人【Part2】定着できなかった懐かしの名手たち

シリーズ:編集部フォーカス text by 佐藤徳和 photo by Getty Images

イタリア代表
一体なぜ? イタリア代表では輝けなかったレジェンドたち【写真:Getty Images】



 数々のタイトルを獲得してきたイタリア代表には、常に世界最高峰の才能が集ってきた。その一方で、クラブレベルでは伝説的な実績を残しながらも、輝く機会に恵まれなかった名手たちも存在する。なぜ彼らは代表に定着できなかったのか。今回は10人の選手をピックアップして紹介する。[1/5ページ]
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MF:ロベルト・マンチーニ

ロベルト・マンチーニ
サンプドリアなどで活躍したロベルト・マンチーニ【写真:Getty Images】



生年月日:1964年11月27日
主な所属クラブ:サンプドリア、ラツィオ
イタリア代表通算成績:36試合4得点

 今は亡き盟友、ジャンルーカ・ヴィアッリとともに、サンプドリアの黄金時代を築いた“ミスター・サンプ”。イタリア中部マルケ州のイェージの生まれで、ボローニャから移籍した1982年夏以降、実に15シーズンにわたりサンプで時代を切り開いた。

 また、32歳で移籍したラツィオでもサンプ時代と同じように背番号「10」を身に纏い、当時の欧州屈指のチームを牽引した。

 セリエAでは通算156得点。これはカリアリの英雄ジージ・リーヴァとゴールハンターのフィリッポ・インザーギと並ぶ記録だ。



 クラブでは幾多ものタイトルを獲得。サンプドリアとラツィオでそれぞれ1度ずつセリエA王者に導く。コッパ・イタリアは6回も制覇し、これはジャンルイージ・ブッフォンと並ぶ歴代最多記録だ。

 また、スーペルコッパ・イタリアーナも1度ずつ獲得。国際舞台でもカップ・ウィナーズ・カップを2度、そしてラツィオ時代には1999年にマンチェスター・ユナイテッドに1-0で勝利を収め、UEFAスーパーカップを掲げている。

 セリエA王者として挑んだ91/92シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは決勝に進出。聖地ウェンブリーで行われたバルセロナとの決勝では、延長戦の末に0-1で惜しくも敗れ、欧州制覇の夢があと一歩のところで絶たれている。

 イタリア代表では36試合に出場しているが、得点はわずか4だ。

 EURO1988では、西ドイツ戦で、初ゴールを記録。自国開催の1990年FIFAワールドカップには最終メンバーに名を連ねたが、出場機会は訪れなかった。

 1994年3月23日のドイツとのテストマッチを最後に、アッズーリから遠ざかり、現役選手としては一度もW杯の舞台に立つことは叶わなかった。

 同世代にはもう一人の“ロベルト”であるバッジョやジャンフランコ・ゾラといったファンタジスタが多くイタリアにいたことも、マンチーニにとっては不運であったが、与えられたチャンスに十分な結果を残せなかったこともまた事実である。

 本人は自身の公式サイトでも「イタリア代表では、選手としてもっと多くを成し遂げたかった」と悔しさを覗かせている。

 それでも、指導者として、“リベンジ”を果たしている。

 イタリア代表を指揮したEURO2020では、決勝でイングランドをPK戦の末に破って欧州制覇。代表団長であった腹心の友ヴィアッリとの抱擁は、多くの人々の感動を呼んだ。

 そして、この決勝の舞台が、バルセロナとの死闘を演じて敗れたあの”ウェンブリー”であったことも書き添えておきたい。

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