スコットランド代表が28年ぶりにFIFAワールドカップ(W杯)に戻ってくる。その立役者となったのが、同じ1994年生まれのアンドリュー・ロバートソンとジョン・マッギンだ。10代で味わった苦しい逆境を跳ね返してきた2人の歩みは、長い低迷を乗り越えたスコットランド代表の姿そのものでもある。祖国のフットボール文化に根付く精神とともに、代表復活の物語を追う。(文:安洋一郎)[1/2ページ]
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28年ぶりのW杯出場を決めたスコットランド代表
ついにスコットランド代表は、長い暗黒期を抜け出したのだろうか。
1872年、同国はイングランド代表と世界初の国際試合を戦った。フットボールの黎明期、スコットランドは最先端のチームの一つだったと言われている。
ロングボールやドリブル突破が主体だった当時のイングランドに対し、スコットランドは短いパスを繋ぐコンビネーションで対抗。そのスタイルは後に「ポゼッションサッカーの起源」とも呼ばれるようになった。
ショートパス主体のフットボールは1920年代にスコットランド人から学んだミャンマー人留学生によって日本へと伝わった。その影響は、現在の日本サッカーにも少なからず残っている。
フットボール文化の熱量もまた格別だ。セルティックとレンジャーズによる“オールドファーム”は世界有数のダービーマッチとして知られ、代表戦が行われるハムデン・パークの雰囲気も圧巻である。
キックオフ前には愛国歌『スコットランドの花(Flower of Scotland)』を歌唱。伝統楽器であるバグパイプの伴奏から始まり、途中で音楽が止まると、選手とサポーターがアカペラで大合唱する。その光景は、スコットランドのフットボール文化を象徴する瞬間だ。
しかし、ピッチ上の結果は長らくこの情熱に見合うものではなかった。
スコットランドを蘇らせた2人
1998年のFIFAワールドカップ(W杯)フランス大会を最後に、代表チームは主要国際大会から遠ざかっていたのである。
転機となったのは2019年。スティーブ・クラーク監督の就任だった。
彼の下でチームは再建され、ユーロ2021(欧州選手権)で23年ぶりに国際大会へ復帰。続くユーロ2024、そして2026年北中米W杯の出場権も獲得した。フットボールの礎を築いた国が、再び世界の舞台へ戻りつつある。
その中心にいるのが、同じ1994年生まれの2人の選手だ。アンドリュー・ロバートソンとジョン・マッギンである。
代表キャップ数で上位に名を連ねる彼らは、現代スコットランド代表を象徴する存在だ。
ロバートソンは2014年3月、19歳で代表デビュー。2018年にはキャプテンに就任し、主将としての代表出場数はすでに歴代最多を記録している。
チームが低迷していた時代から主将として戦い続け、代表を再び国際大会の舞台へ導いた。
一方のマッギンは、セルティックとスコットランドサッカー協会の元会長を祖父に持つ“サッカー一家”の出身だ。
2016年に代表デビューを果たすと、ユーロ2021予選ではチーム最多の7ゴールを記録。スコットランドを23年ぶりの大会出場へ導いた立役者となった。
豪快なプレースタイルと愛嬌あるキャラクターで国内では絶大な人気を誇り、スコットランド・フットボール記者協会が選ぶ年間最優秀選手賞を歴代最多の4度受賞している。
そんな2人が初めて出会ったのは、今から20年以上前のことだった。
場所はセルティック・パークの「パイ屋台」である。
セルティック・パークでの運命的な出会い
マッギンが所属するアストン・ヴィラで通算300試合出場を記念して制作されたドキュメンタリー『McGinn: The Story So Far』で、ロバートソンは幼少期の思い出を語っている。
共にグラスゴー出身の2人は、幼い頃からセルティックの熱心なサポーターだった。家族がシーズンチケットを持っており、座席の区画も隣同士。9歳、10歳の頃から顔見知りだったという。
セルティック・パークでのホームゲームでは、ハーフタイムになると、2人はスタンド近くのパイ屋台で顔を合わせるのが習慣になっていた。
やがてユース年代では、セルティックとセント・ミレンに所属していた彼らがピッチ上で対峙することもあった。
年齢、身長、利き足、応援するクラブ、アイドルがヘンリク・ラーション、さらには中盤から左SBへとポジションを変えたキャリアまで、2人には驚くほど共通点が多い。
今ではスコットランドを代表するスター選手だが、10代のキャリアは決して順風満帆ではなかった。
