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日本代表 11年前

「海外組」を巡る言説を問う 「日本人らしさ」というステレオタイプ

text by 有元健 photo by Kenzaburo Matsuoka,Asuka Kudo / Football Channel

コンプレックスが生むステレオタイプ

 むしろ日本人が技術と規律に長け勤勉であるという語り口は、現実の描写というよりもある種のコンプレックスに対して「そうありたい」「そうであるはずだ」と願う空想の産物だと考えたほうがよさそうだ。それは経済不況になるたびに「技術立国」が叫ばれるのと似ている。

 例えば西洋人に直面して自らの身体にコンプレックスを抱いた20世紀初期の日本の体育家もまたこのように言った――

「現在団体行動は我が国民の身体動作の中で最も未熟なものの一つである。しかしそもそも我々は規律や節制、秩序だった動作に長けた国民である」(『国家及び国民の体育指導』1922年)。

 この体育家などは、現実に団体行動ができない日本人集団を前にしてなお、日本人には規律があるはずだと信じようとしているのだ。信念のためには現実さえも抑圧されてしまうのである。

 また、この種のステレオタイプは住々にして、それが自国民の描写だけでなく反転して他者にも向けられる。岡田氏が中国人と韓国人のサッカーをまとめて「パワフルだが繊細さがない」と語るように、ステレオタイプは「単純に」そして「対照的に」ある人間集団を描く。そしてこのステレオタイプに忍び寄るのが人種主義的な思考なのだ。

 2010年南アW杯本大会直前に日本代表はコートジボワール代表と戦って敗れたが、朝日新聞の忠鉢信一記者は試合後の両監督の発言内容の違いに驚いたという。当時のコートジボワール代表監督エリクソン氏が「組織を維持できたこと」を勝因にあげたのに対し、岡田氏はコートジボワールの選手たちの「身体能力と技術」が日本代表を苦しめたと述べた(朝日新聞2010年6月8日付)。

 変わりゆく戦況の中で守備組織を維持する繊細さを岡田氏は黒人選手のプレーに見なかった。彼の目に映ったのはあのアフリカの大地がはぐくむ「身体能力」だったということだろうか?(ちなみに読者の皆さんはU-20女子W杯の準決勝ドイツ戦と3位決定戦ナイジェリア戦で、白人選手には「フィジカル」、黒人選手には「身体能力」という言葉が巧みに割り当てられていたことに気が付きましたか?)

 断っておくが、私はアフリカ人選手にフィジカルの強さがないとか、日本人選手に規律や勤勉さがないと言いたいわけではない。現実にはそれらはある。

 だが哲学者スラヴォイ・ジジェクによれば、私たちのファンタジー=空想を支えているものこそが現実のかけらなのだ。つまり、現実のピッチ上で生じる多種多様な出来事の中から、私たちは「日本人の規律・勤勉さ」や「アフリカ人の身体能力」といったステレオタイプに合致するプレーを優先的に認知し、その「現実」を支えとして空想を維持し続けるのである。

 その結果、アフリカ人選手をフィジカルで上回る日本人選手のプレーやコートジボワールのチャレンジ&カバーは忘却されてしまうのである。

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