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代表 11年前

落日の母国【欧州サッカー批評 6】

text by 田邊雅之 photo by Kazuhito Yamada

プレミア勢の頂上決戦という「終わりの始まり」

 だが07-08シーズンのCLファイナルは「終わりの始まり」でもあった。

 プレミア勢の頂上決戦という触れ込みとは裏腹に、戦術や技術のレベルはきわめて低調。イングランドの各クラブが勝負にこだわるあまり、サッカーのスタイルそのものがフィジカルな方向にぶれすぎていることが見て取れた。

 この事実は、08-09から2010-11シーズンにかけて一層顕著になる。プレミア王者としてバルセロナと対戦したマンUは二度も惨敗。しかも対策を練り上げて臨んだはずのニ度目の対戦では、前回のファイナルにもまして完膚なきまでに叩きのめされたからだ。

 プレミアの権威が失墜するのに時間はかからなかった。昨シーズンはチェルシーが奇跡の戴冠を果たしたものの、試合の内容は御存知の通り。チェルシーはアンチフットボールどころか、恐竜時代のサッカーをするチームと揶揄されている。

 そのような状況で迎えたのがユーロだった。FAが選手育成をクラブに委ねてきたツケが、代表メンバーのテクニックやスキルの低下という形で回ってきていることを、サッカー関係者は改めて思い知らされたのである。

指導者も絶対的に足りないイングランドの惨状

 ユーロで同様に指摘されたのは、指導者の絶対的な不足だった。

 たとえば4月にカペッロが代表監督を突如辞任した際、選手たちは「今度こそ英語が話せる人間を連れてきてほしい(イングランド人の指導者を監督に据えるべきだ)」と主張した。

 ところがこの時点で、イングランド人を監督に起用していたのはプレミアの全20クラブ中、3クラブ(トットナム=レドナップ)、(ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン=ホジソン)(ニューカッスル:パーデュー)のみ。つまりFAにはごく限られた選択肢、還暦を過ぎた3人の中から後任を選ぶというオプションしか残されていなかったのである。

 イングランドのサッカー事情に詳しい人は、キーガンやスティーブ・マクラーレンがキャリアメイクに失敗したのが痛かったと嘆くかもしれない。だがサッカーの母国たるもの、監督の人材には事欠かないくらいの状況になっているのが、本来の姿であるはずだ。

 イングランド人で比較的名の通った若手監督というと、ミドルブズラで2006年から2009年まで指揮を採ったサウスゲイトや、ニューカッスルを一時期率いたシアラーなどが挙がるが、彼らとて特に戦術の才に秀でていたわけではない。ブラックプールを率いたホロウェイも、プレミアからはわずか1シーズンで姿を消している。

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