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吉田麻也が語る「激闘の軌跡」 ~アジアカップで得た収穫と課題~(前編)

text by 中田徹 photo by Kenzaburo Matsuoka

監督は岩政か吉田か悩んでいた

――そしてオーストラリアとの決勝戦。以前、吉田選手は「監督が岩政さんを使うか、僕を使うか悩んでいるのを感じた」と話してくれたことがありますが。

「戦術練習やセットプレーの練習で僕と岩政さんが代わっていたりしたので、悩んでいるのがわかった。でも出られなくてもしょうがないなと思えるぐらい岩政さんも韓国戦でやっていたし、それはそれで僕も足りなかったんだろうなと思えばいいと感じていた。今さらあたふたしても何も変わらないだろう、監督が決めるまで待っとけと」

――吉田選手はけがでW杯のメンバーから漏れ、内田選手は大会前にレギュラーから外れ、香川選手は帯同メンバーだった。岩政選手は試されることもなかった。アジアカップは色んな思いがあったのでは。

「そういうハングリーさがみんな出ていた。ハングリーであり、かつ自信のある選手もいて、それがうまくミックスされていた。監督がそれを狙っていたとは思えないですけどうまくミックスされていた。岩政さんなんて『やっと俺の出番だ』と思ってたところに僕が出てきたんで大変だったはず。でも韓国戦であれだけがんばった。こうした起用法の中で選手同士の仲が悪くなるわけでもなく、逆に一致団結していったのが優勝につながったと思います。

 このチームはみんなが役割をわかっていました。権田さんとかもすごい地味だけどチームのためにいい仕事をしてました。延長になったときはマッサージ、ストレッチ、給水、タオル配りとか。試合中はベンチに入れるスタッフが限られているので控えの選手がやらないといけないこともあるけど、そこですごく動いてくれた。決勝なんて伊野波くんが僕をずっとマッサージしてくれました。体をタオルで拭いてくれたときには『そこまでしなくていいよ』って思いましたけど、疲れてたからもういいやと思って拭いてもらってました。

 森脇くんもチームにとって必要な選手だった。盛り上げるし、声を張るんで、チームがすっと沈むことがなかったです」

【後編に続く】

初出:サッカー批評issue50

プロフィール

吉田麻也
1988年8月24日、長崎県出身。身長187cm /体重81kg。名古屋グランパスエイトU-15、U-18を経てトップチームに昇格。2007年~2009年まで名古屋でプレーし、2010年からオランダのVVVフェンロに移籍。2008年の北京五輪に出場し、A代表デビューは2010年1月アジアカップ最終予選のイエメン戦。2012年のロンドン五輪にはオーバーエイジ枠で6試合に出場し、チームのベスト4進出の大きな力となった。イングランドプレミアリーグ・サウサンプトン所属。

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