浦和レッズは本当に生まれ変わったのか? ~常勝クラブとなるために必要なこと~(前編)

2011年、シーズンを通して低迷し、降格の危機に瀕した浦和レッズ。2012年、ミハイロ・ペトロビッチ新監督のもとでJリーグ3位に入り、ACL出場権を獲得。そして2013シーズン、新戦力を加えた浦和レッズは真に強いクラブになりえるのか。浦和レッズの未来を考察していく。

2013年02月22日(Fri)10時08分配信

text by 島崎英純 photo Kenzaburo Matsuoka
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【後編はこちらから】 | 【サッカー批評issue60】掲載

浦和の栄枯盛衰

 06年シーズンのJリーグ初制覇、07年シーズンのアジア・チャンピオンズリーグ初制覇、クラブワールドカップ3位という輝かしい栄光から転落の一途を辿った浦和レッズは、11年シーズンに壊滅的な状況を迎えた。クラブはJ2降格の危機に瀕しただけでなく、サポーターからの信頼を失ってその魅力を大きく減退させてしまったのだ。

 浦和がJリーグ、ACLを制した主要因は多くの観客動員数と企業スポンサーのバックアップを基盤に、金銭を惜しまず積極的な戦力補強を敢行し、実力を備えた選手たちが存分に能力を発揮できた点にあった。

 浦和の栄光期といえる04年から06年までチームを指揮したギド・ブッフバルト、そして07年から08年途中まで采配を振るったホルガー・オジェックはともに手堅い戦術を駆使して対戦相手を捻じ伏せたが、そのサッカースタイルは選手個人の力量に負うところが大きかった。

 ワシントン、ロブソン・ポンテらの優秀な外国籍選手と田中マルクス闘莉王、長谷部誠、三都主アレサンドロ、山田暢久、鈴木啓太、坪井慶介、小野伸二らの日本代表経験者たちがピッチ上で如何なくその個性を放散し、ゴリ押しで相手を圧倒したのである。

 しかし08年シーズン途中にクラブがオジェックを途中解任してからチームの歯車が狂った。指揮官解任の引き金はクラブフロントと現場、そして指揮官と選手の関係に亀裂が入ったことが要因だったが、最重要であるはずのクラブ主導の中長期ビジョンが希薄だったことで監督交代策が功を奏さずチーム成績が下降してしまう。

 結局08年シーズンの浦和はJリーグ7位、ACL準々決勝敗退、ナビスコカップ予選リーグ敗退、天皇杯5回戦敗退、02年シーズン以来の無冠に終わり(04年シーズンはタイトルなしだが、Jリーグ第1ステージを制している)、ヘッドコーチから昇格してオジェックの後を引き継いだゲルト・エンゲルスは、契約を1年残していたものの退任の憂き目に遭って、その座を追われている。

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