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【特集・3/11を忘れない】塩釜FC小幡忠義理事長インタビュー ~被災地救援を支えた塩釜FCの絆~(後編)

text by 木村元彦 photo by Tadayoshi Obata

全国から届けられた支援物資を必要な人に届ける

――避難所にも行けない人たちをまた独自の立場から支援されたと聞きましたが。

「秋田県のサッカー協会から、会長さんたちがおにぎりやお椀とかみんな持ってきてくれたんですよ。その前におまわりさんがね、このへんに200世帯ほど、お年寄りや体の具合が悪くて避難所に行けない人たちがいるって教えてくれていたんです。その人たちは一週間以上、飯食ってねえってわけよ。これなんとかしないとって言っていたら、ちょうどおにぎり来た。よしっていうことで持っていこうとしたら、そしたら今度は、どこどこにそういう人がいるのか知らせるのは個人情報で出せねえって、言ってさあ(笑)」

――融通が効かないですね。

「だけど、この警察署長が、頭良くて、すぐに町内会長呼べっつって。町内会長を集めて、そこさ頼んでどこに困っている人がいるか、教えてもらってそんで200世帯分みんなして町内会配ったの」


クラブのOB で水産会社を経営している井筒氏たちにより事務所前に出された魚の露店。行列ができ、わずか1 時間で完売した。

――避難所に入れず見落とされている、それでいて最もケアの必要な人たちに支援ができたわけですね。他に独自の支援はどういうことをされたんですか。

「うちの教え子が仙台で魚屋やってっから、家の前で魚屋出せって言ったんです。そうしたら皆さん行列を作って待っていた。市場になってたわけです。いろんな人が来ましたよ。千葉直樹、去年ベガルタを辞めたでしょ。あいつなんかマスコミを連れるわけでもない、たったひとりで来ては被災地を歩いて回っていた。自分でボール買って贈ったり、一緒にサッカーしたりして。そしてね、ここに来るおまわりさんがすごいんですよ。震災後にすごく一生懸命に働いた。一日朝から晩までがんばってフラフラになって最後私のとこさ帰ってくるわけ。いわゆる、同志がいるから。ご苦労さんって言ってくれるから。で、そういう連中がみんな集まってきました」

――全国からの支援はどういう形で広まっていったんですか。

「本当に全国ですね。関東の多くのクラブからも(ファッションセンター)しまむらから全部買って来たんじゃないかというくらい物資を頂いた。人から人で、千葉のクラブからも全然はじめての方だったんだけども俺さ連絡寄越してくれて、共鳴したそこの役所の人たちも来て、野菜持ってきてくれました。そう、避難所に野菜がないって言うと、みんな持ってきてくれてね。それから、埼玉の上尾の方は和むようにと花を持ってきてくれました。大切なのは必要な人に必要な物を届けるということで、結局どこの行政もそうなんだけど来た物資を体育館なんかに山積みしてなかなか動かない。だから必要な人に必要なものを迅速に渡すってことを心がけましたね」

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