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【特集・3/11を忘れない】塩釜FC小幡忠義理事長インタビュー ~被災地救援を支えた塩釜FCの絆~(後編)

text by 木村元彦 photo by Tadayoshi Obata

Jリーガーたちからも支援が届く

――サッカークラブでありながら、その危機管理能力というのはどういうふうに身につかれたんでしょうか。

「動物的感覚なんだろうかね(笑)。平民とおんなじような、生活レベルだから、いいんでねえ。俺たち生活レベルがギリギリなんですよ。俺、どん底のどん底で、自殺寸前まで行ったしね。結婚してすぐに2000万ぐらい借金できたし、今あるのは本当に嫁さんのおかげだなあと思ってる。だって俺仕事しねえんだもん。うちの嫁さんの本こそ書くべきだよ」

――(笑)。

「ずーっと。嫁さんは俺の好きなことやらせれてくれてんだ。今回も喫茶店(自宅1階にある奥様経営のアトリエゴール)に泊まっている連中に毎日朝飯何十種類も作ってね」


鹿島から駆け付け選手に激励の言葉をかける小笠原満男選手とクラブOBの遠藤康選手

――新聞記者もそこに一週間泊まっていたわけですか?

「泊まんねえんだけど毎日来るんです(笑)」

 サッカーに関係あろうがあるまいが、この地域にいる人が自然に集う。それが存在理由であるが、それはまた「百年構想」とは別の野育ちの強さに裏打ちされたものである。

「うちのユースの監督なんか、俺以上に天然だし、わがままだし、自由人なのね。だけど自由に動いてっから面白い発想が出てくるしね。被災者救援っていってもみんなそうじゃないですか。行政の人なんか家も流され、親兄弟亡くなっても一生懸命、やってんだもの。そっからすっとね、俺たちこういうとこさ住まいが残っただけでもありがたいし感謝しないと」(小幡)

――Jリーガーたちからはどんな支援を。

「昨日ガンバから電話がきて、(佐々木)勇人がまた4トントラックでなにか持って行きますっていうことでした。彼は小学6年生で身長が128センチしかなかった。それでもがんばってあそこまでいった。遠藤も大きなお金を寄付してくれたし、ガイナーレ鳥取の奥山(泰裕)も遠くから応援に来た。

 加藤久は献身的に東北未来募金を一生懸命やってくれましたよ。それから今、小笠原がすごいです。ずっと物を集めてくれたり、子供たちの練習に顔出してくれて、被災地にも行き続けている。東北人だから不器用で、(加藤)久とも似てっとこあるな、あいつ。俺は小学3年生の時から知ってんだからね。太田東でやっていて、いわゆるポジションの取り方がめっちゃうまかったんですよ」

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