セリエAで2位を確定させたナポリ。若手中心のチームを躍進させたマッツァーリ監督の手腕とは?

2013年05月18日(土)8時26分配信

text by 神尾光臣 photo Kazhito Yamada / Kaz Photography
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マッツァーリ監督のユニークかつ卓越した戦術眼

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ワルテル・マッツァーリ監督【写真:Kazhito Yamada / Kaz Photography】

 マッツァーリ監督は、1961年10月1日生まれのトスカーナ州出身。フィオレンティーナの下部組織で技を磨いたレジスタで、同クラブの名MFジャンカルロ・アントニョーニの再来と噂されたという。ただその後はケガに泣かされ、選手としては芳しい成績を挙げる事が出来ずに引退するが、彼のユニークかつ卓越した戦術眼は、指導者としての道を歩みだしてから花開く事になる。

 後方から無闇に蹴り出すことなくパスを繋ぎ、3バックを用いてピッチを広く使う攻撃サッカーは異彩を放ち、2004年に当時指揮していたリボルノをなんと55年ぶりにセリエAに昇格。

 翌年に移籍したレッジーナでは、守備を固めて中盤を省略する傾向のあるプロビンチャのサッカーに馴染めずにいた3年目の中村俊輔を、パスサッカーを展開する上で「重要なピース」として主力に起用。「DFには蹴り出すなといい、(ボールをもらいに)FWが下がっても怒らない。この監督は今までの人とは考え方が違う」と驚いていた。

 チーム作りにおいてはオートマチズムの徹底を重視する。精密な反復練習でパスワークのパターンを叩き込み、プレスやカバーリングの約束事なども細かく指導。「そうした土台がチーム出来れば、選手は楽しんでプレイが出来る」というのが彼の持論だ。

 実際彼の指揮するチームは、ことごとく下馬評を上回る活躍を遂げた。カルチョポリの処分でレッジーナが当初はマイナス15(のちに11へ減刑)の勝ち点ペナルティを喰らった06-07シーズンでは、度々ビッグクラブを喰うアグレッシブな攻撃サッカーで奇跡の残留へと導く。

 その後に指揮を執ったサンプドリアでは、レアル・マドリーで自堕落にふけった末にセリエAに復帰したカッサーノの再生にも成功。彼にプレイ上の自由を保障しつつ、チームとして攻守のバランスを崩さないよう、戦術も緻密に整えられていた。

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