日本ハムファイターズ アドバイザー藤井純一が説く プロスポーツの経営論(後編)

プロ野球の球団とJクラブで求められる経営に違いはあるのだろうか。セレッソ大阪と日本ハムファイターズの社長を務め、近畿大学で経営学部教授として教鞭を執る藤井純一氏に話を聞いた。

2013年06月09日(日)10時22分配信

text by 宇都宮徹壱 photo Tetsuichi Utsunomiya
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【前編はこちらから】 | 【サッカー批評issue60】掲載

ファイターズの赤字額は『46億円』

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藤井は2004年にC大阪を離れ北海道へ【写真:松岡健三郎】

 さて、藤井がセレッソを離れた04年は、球界に「プロ野球再編問題」の激震が走ったことで記憶されている。これと前後して、パ・リーグの各球団が、福岡移転で大成功を収めたダイエーホークス(現ソフトバンク)に倣い、相次いで地域密着に舵を切るようになった。

 それまで東京ドームを本拠地としていたファイターズも、新天地を北海道に求め、04年に「北海道日本ハムファイターズ」として、新たなスタートを切ることになった。

「そうしたら『君、北海道に行ってくれ』ですよ(苦笑)。セレッソの社長を辞めたのが、その年の4月。言われたのは10月くらいだったと思います。翌年の1月1日付で、勝手がわからない北海道に赴任となりました」

 サッカーから野球にフィールドが変わっても、「黒字転換と地域密着」という藤井のミッションは基本的に変わらない。ただし今回の職場は、セレッソ時代とは大きく異なるものであった。

 04年当時の球団の赤字額は、何と46億円。昨シーズン、Jリーグで最も赤字だった横浜F・マリノスが5億8500万円だったというから、いかに規模が違うか容易に理解できよう。加えて、これまで「自転車で20分以内」だったホームタウンも、今度は広大な北海道全域である。それでも藤井には、揺るぎない信念があった。そのキーワードは「集客」である。

「当初は『SHINJO見たさ』もありましたし、ヒルマン監督などが札幌駅前で1日中サイン会をしたりしていた。そうした珍しさもあって、お客さんが来てくれたというのはあります。ただし、僕はその時から社員には『選手ではなく、チームでお客さんを呼べ』と言ってきました。スター選手は、いつか必ずいなくなる。かつてのヴェルディ川崎のようになってはいけないんです」

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