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【サッカー狂・佐山一郎の嘆き】サッカーメディアの質が、平均点止まりになる理由

text by 佐山一郎

欠けているプレゼントの衝動

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 30歳代前半に雑誌編集に明け暮れたぼくの場合、文章の最高傑作は猪瀬直樹氏で、写真のほうのそれは『アエラ』の表紙を25年撮り続けている人(編注:坂田栄一郎氏)です。

 有望選手や次世代の優れた指導者を見つける目とも共通するんじゃないですかね。恩着せがましいのはいけないけれど、代表選手が最初に選んでくれた監督に感謝し続けるのと似ています。どこで誰にキラーパスを出すか。パスはプレゼント。プレゼントの衝動を持たない編集者はダメ編集者です。

 なんていうのかな、捕虫網が小さ過ぎるんですよ。博捜する眼があれば、意外なところで意外な人物がサッカーについて書いているのを見つけられるはずです。たとえば、池内恵さとしさんという人がいます。彼の『書物の運命』(文藝春秋・2006年)という本に収められた「イスラーム的サッカー」という短いエッセイなんかはサッカー専門誌のほうが座りが良いし、関係者の多くがアラブ世界でのスポーツの置かれた状況をこのエッセイで知っていなければならない。

 アジア予選のときなら、イスラーム政治思想と中東地域の専門家に執筆依頼をしても何ら不思議ではないわけです。ラテンアメリカ文学研究者の野谷文昭さんもカミロ・ホセ・セラの『サッカーと11の寓話』(朝日新聞社・97年)を共訳しています。あの原書はたぶん僕が見つけてきたものです。

 たまたま今、大学の先生を二人挙げた訳だけど、極論すれば、誰が出てくるか分からない状態での短期連載でいいんです。評判をとれば延長戦突入、単行本の初出誌までいければオールハッピー。たかが一つの記事やコラム、インタビューであっても、それ相応の質量や野心がないと、万華鏡を揺らしてみる愉しさを得られません。才能のある人は最初から遠くのゴールが見えているんです。

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