ミラン在籍16年、遠藤友則。ビッグクラブを支え、スター選手に愛された知られざる日本人メディカルトレーナーの軌跡

2015年03月16日(Mon)15時20分配信

text by 小松孝 photo Getty Images
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転機となったマッサーロからの誘い

 そしてその怪我が直接の引き金となり、「将来は日の丸を背負って立つ選手」と誰もが口を揃えて言うほど抜きん出たサッカーセンスを持ちながら、思うようにならない左膝を抱えたままでは「サッカーなんてできっこない」と、20歳になったばかりの時に選手になる夢を諦めた。

 それだけじゃない。その後遺症として今でも左足をやや引きずるように歩くことを強いられてしまったのである。そしてその場面では、遠藤の歩く姿をロビーニョが真似してからかったというわけだ。

 大学2年生の時に人生の岐路に立たされた遠藤は、「腐っていても何も始まらない」と一念発起し、当時、まだ聞いたこともなかったトレーナーという仕事を探りつつ、医療の勉強に没頭していった。

 そしてJリーグ元年を翌年に控えた1992年、恩師である『清水サッカーの父』故堀田哲爾の命を受け、清水エスパルスの医療部門の創設責任者に就任。すると現役時代同様、獅子奮迅の活躍を見せ、Jリーグ屈指の医療体制を作り上げ、その後は自らもチーフトレーナーとして腕を振るう日々を送った。

 ところが1999年、充実感や達成感に包まれながらもエスパルスを去る決意をする。そんな矢先、エスパルスを退団後、古巣ミランに戻り営業担当として新たな人生を歩み始めていたイタリアの英雄ダニエレ・マッサーロから「遊びに来いよ」との手紙が届いたのだ。

 その誘いをきっかけに視察目的で渡伊するものの、再会したマッサーロから「ミランでトレーナーをやってみないか」という意外なひと言を告げられたのである。

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