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セリエA 8年前

バス会社勤務からミランのエースへ。一度はプロ諦めたFWバッカの知られざるシンデレラストーリー

text by 北澤豊雄 photo by Getty Images , Toyoo Kitazawa

一度は捨てたサッカー選手の夢。バス会社に勤務

カルロス・バッカ
父のカルロス氏【写真:北澤豊雄】

「それから20歳ぐらいまでの間でしたでしょうか。トランスポルテ・プエルトコロンビアというバス会社でコブラドールを始めたのです。うちは裕福ではありませんから、サッカーだけを続けるわけには行かないということで、家族のために働きに出てくれたのです」

 サッカー選手の夢を捨てて社会人として歩み始めたのである。バスの助手席に座って、乗客からバス賃を受け取るのがおもな仕事だ。首都ボゴタの特殊なバス以外、コロンビアのバスの車内に券売機や両替機はない。誰かがお客から現金を受け取り、釣り銭を渡さなくてはならない。その仕事をコブラドール(Cobrador)と呼び、広義では車掌業務も含む。

 コロンビアのバスは通常は前扉から乗車して後ろ扉から降車するのだが、混雑時は臨機応変に対応する。したがって後ろから乗車してそのまま降車する人もいるため、コブラドールが目を光らせてなくてはならない。車内には物売りや芸人も乗り込む。それらの交渉や雑務をこなしつつ会社に戻ったあとは一日の売り上げの計算とバスの清掃だ。

 私をここまで案内してくれた日系人のタクシードライバーは当時のバッカの月収を「3万円ぐらい」と見積もったが、ようするにバス会社の雑用全般がバッカの仕事だったのである。そんな仕事ずくめの毎日だったが、夢は捨てられず、おりを見ては家の前でボールを蹴った。

 そんなときにチャンスは訪れた。

 近隣の人口約190万人の大都市バランキージャ市には、コロンビア元代表のスター選手カルロス・バルデラマなどを輩出した国内の名門クラブ「ジュニオル」があり、その下部組織の年代別チームの監督が家の近くに住んでいた。プロの選手になりたいことを伝えると、チームの練習に招待され、認められ、メンバーとなったのだ。

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