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「アンチフットボール」とは何か。知られざる語の起源。勝利第一主義で生まれた“戦術”【サッカー用語の基礎知識】

シリーズ:サッカー用語の基礎知識 text by 実川元子 photo by Getty Images

アルゼンチンが「アンチフットボール」発祥の地

1968年のインターコンチネンタルカップでマンチェスター・ユナイテッドに勝利したエストゥディアンテス
1968年のインターコンチネンタルカップでマンチェスター・ユナイテッドに勝利したエストゥディアンテス【写真:Getty Images】

 まずはウィキペディア(英語版)を見てみよう。「パスのためのパスしかしない、ストライカー以外の全員が後方に引いて徹底して守るだけ、またはフィジカルを生かして激しく当たって相手を封じるスタイル。試合に勝つことより、相手のゴールを阻止するほうを重視する」と定義されている。

 とりあえずボールを前に蹴り出す、意図的にダイビングする、ピッチに倒れこんでなかなか起き上がらない、セットプレーに手間取るなどして時間稼ぎをする、などが「アンチフットボール」的行為としてあげられている。

 要するに、勝つことを何よりも優先し、観客を楽しませることは二の次とするチームに対し、勝てなかったチームから苦々しく発せられるのが「アンチフットボール」という非難の言葉である。初めてこの言葉を掲出したのは、ゲイリー・アームストロングとリチャード・ジュリアノッティ著”Fear and Loathing in World Football”であるが、著者たちはアルゼンチンのサッカークラブ、エストゥディアンテス・ラ・プラタのスタイルが始まりだった、と断じている。

 英国人のサッカージャーナリストで、長くアルゼンチンに暮らして当地のサッカーと政治の関係を取材したジョナサン・ウィルソンも、”Angels with Dirty Faces”でアルゼンチンのアンチフットボールについて詳述している。1965年、降格の危機にあったエストゥディアンテスの監督に就任したオズバルド・スベルディアは、スーパーな選手がおらず、補強もむずかしいというチームをどうやって勝たせるかに知恵を絞った。

 彼がとった戦術は、個の力に頼らずチーム一丸となって戦うこと。聞こえはいいが、ファウルを恐れず激しくあたること、11人全員で守って攻撃はチャンスがあれば、という、当時の基準から見ても恐ろしくつまらないスタイルだった。

 勝つためには何でもやると決めたスベルディアは、レフェリーを講師として呼んで、どこまでならファウルを取らないか、オフサイドをとるのはどういう場合かを選手に教えるための講習会まで開いた。

 その結果編み出された「戦術」が、戦術的ファウルとオフサイド・トラップである。そのおかげかどうか、エストゥディアンテスは1967年リーグ優勝、68年にはコパ・リベルタドーレスで優勝して南米制覇を成し遂げた。そしてインターコンチネンタルカップではボビー・チャールトン率いるマンチェスター・ユナイテッドを1勝1分けで退けて、世界一にも輝いたのである。

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