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モドリッチが世界最高と呼ばれるまで。天才でなくとも、時代の要請に応えたハイブリッドMF【西部の目】

シリーズ:西部の目 text by 西部謙司 photo by Getty Images

ニコ・クラニチャールの陰

 ニコ・クラニチャールはモドリッチと同世代の早熟な天才型プレーヤーで、17歳でディナモ・ザグレブのキャプテンになっている。十代でキャプテンはモスタルでのモドリッチもそうだったのだが、ヨーロッパや南米ではわりとある事例だ。日本では年少者がキャプテンになるのは希だが、イビチャ・オシム監督がジェフ市原の指揮を執っていたときには21歳の阿部勇樹をキャプテンに使命している。

 2005年1月、フロントとの確執の末にクラニチャールはハイデュク・スプリトへ移籍、ディナモ・ザグレブは急遽モドリッチを呼び戻した。Jリーグでも指揮を執ったヨジップ・クゼ監督の下でリーグ優勝を果たし、2007年にはリーグのMVPに選出される活躍だった。

 クラニチャールとは後にトッテナム・ホットスパーで再会することになるが、そのときには2人の関係は逆転している。モドリッチがセントラルハーフとしての地位を確立していたのに対して、クラニチャールはレギュラーポジションを確保するには至らなかった。クロアチア代表でもクラニチャールの陰に隠れた存在だったが、ユーロ2008の後はモドリッチが完全に中心選手となりキャプテンをダリヨ・スルナから受け継いでいる。

 筆者は2006年ワールドカップの前にクロアチアの試合を見たが、すでにエース格だったクラニチャールよりもモドリッチのプレーのほうが印象的だったのを覚えている。多くの日本人記者もそう思ったようで、「あの選手は誰だ」とちょっとした話題になっていた。ただ、ドイツワールドカップでクロアチアと日本が対戦したときもモドリッチは途中出場したにすぎない。

 モドリッチは現在世界最高のMFの1人である。だが、いきなりその地位に就いたわけでもなければ、そうなると予期していた人も多くはなかったようだ。少しずつ頭角を表してきて、現在のモドリッチになっている。

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