モドリッチが世界最高と呼ばれるまで。天才でなくとも、時代の要請に応えたハイブリッドMF【西部の目】

世界最高のMFの一人と称されるようになったルカ・モドリッチだが、かつては同世代の天才の陰に隠れた存在だった。しかし、キャリアを積み重ねる過程で様々な武器を獲得。レアル・マドリー、クロアチア代表にとって不可欠な選手となっている。(文:西部謙司)

2018年05月26日(Sat)10時00分配信

シリーズ:西部の目
text by 西部謙司 photo Getty Images
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モドリッチ村の難民

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ルカ・モドリッチ【写真:Getty Images】

 クロアチアのザダルで生まれたルカ・モドリッチのファミリーネームは、住んでいた森に由来するという。地名がそのまま名前に使われるのが風習なのだそうだ。

 幼少期は戦時下だった。二度住まいを変えていて、モドリッチ一家は難民だった。子供の戦争体験は大人と違っている。本人はそれほど悲惨だとは思っていなかったという。避難先の中庭でボールを蹴っていたモドリッチはクロアチアでも最後のストリート育ちのプレーヤーだ。

 10歳のときにハイデュク・スプリトのテストを受けたが不合格だった。体が華奢すぎるというよくある理由である。NKザダルでプレーした後、16歳でディナモ・ザグレブのユースチームに加入した。18歳でトップチームに昇格、10年契約を結んだときの金で故郷にアパートを買い一家の難民生活にピリオドを打つ。

 ただ、ザグレブで順婦満帆だったわけではない。すぐにボスニアのズリニスキ・モスタルに貸し出される。後にモドリッチは「ボスニアでプレーできれば、世界のどこでもやれる」と話している。フィールドの劣悪さをはじめ、かなり過酷な環境だった。クロアチア系協会とボシュニク系協会がそれぞれ主催していたリーグが統一されたプレミイェル・リーガで、モドリッチは18歳にしてキャプテンを務め、リーグのMVPに選ばれている。

 ところが、次のシーズンにもザグレブには戻れず、クロアチアリーグのNKザプレシッチへ貸し出された。ディナモ・ザグレブにはニコ・クラニチャールがいたからだといわれている。

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