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セリエA 5年前

華麗すぎる! イタリアが生んだ世界最高のレジスタ5人。ピルロにアルベルティーニ、そして…ピッチを彩る演出家たち

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

デメトリオ・アルベルティーニ

デメトリオ・アルベルティーニ
イタリア代表やミランなどで輝かしい功績を残したデメトリオ・アルベルティーニ【写真:Getty Images】



デメトリオ・アルベルティーニ
生年月日:1971年8月23日
イタリア代表成績:79試合/3得点

【過去の所属クラブ】
ミラン(407試合/28得点23アシスト)
パドヴァ(28試合/5得点0アシスト)
アトレティコ・マドリー(28試合/2得点0アシスト)
ラツィオ(35試合/2得点)
アタランタ(16試合/2得点1アシスト)
バルセロナ(6試合/0得点0アシスト)

 ミランの下部組織で育ったデメトリオ・アルベルティーニはわずか17歳という若さでセリエAデビューを果たしている。だが、当時のミランではポジションを確保することができず、1990/91シーズンに当時セリエB(2部)に所属していたパドヴァへレンタル移籍で加入することになった。

 新チームでは28試合で5得点を挙げるなど確かな成長を果たしたアルベルティーニ。同シーズンには最も有望な若手選手に贈られるディアドラ賞を獲得するなど、才能は明らかに目覚めていた。

 その活躍が高く評価され、翌シーズンからは古巣のミランに復帰を果たす。するとさっそくレギュラーの座を確保し、ロッソネロの中盤に君臨。正確な長短のパスと優れた戦術眼、巧みなボールタッチを武器にピッチ上で美しいプレーを披露し、ミラニスタのハートを見事に打ち抜いた。ミランには2001/02シーズンまで在籍し、計407試合に出場、28得点23アシストの成績を収めた。また、セリエA、スーペル・コッパ、UEFAチャンピオンズカップで優勝を経験するなどタイトルを総なめにした。

 またイタリア代表としても輝かしい成績を残しており、ワールドカップは1994年アメリカ大会、1998年フランス大会に出場。アメリカ大会では、アッズーリの準優勝にも貢献している。そして欧州選手権(EURO)にも2度出場。96年イングランド大会ではグループリーグ敗退に終わり、アルベルティーニ自身も好パフォーマンスを発揮することができなかったが、00年大会はチームの準優勝に貢献し、大会のベストイレブンにも選出された。1996年から1998年の2年間イタリア代表を率いたチェーザレ・マルディーニ氏が「アルベルティーニがくしゃみをすれば、アッズーリが風邪を引く」といった名言を残したように、同国代表にとってアルベルティーニは必要不可欠な存在となっていたのだ。

 ミラン、そしてイタリア代表で輝かしい功績を収めたアルベルティーニは2002/03シーズンよりアトレティコ・マドリーにレンタルで加入することになった。同クラブでは28試合で2得点の成績を収めたが、1年後にミランへ復帰。再び赤黒のユニフォームを身に付けると思われたが、クラブは同選手をラツィオへ放出。ジュゼッペ・パンカロとのトレードだった。

 ラツィオではコッパ・イタリア制覇などに貢献したが、わずか1シーズンでアタランタへ移籍。その同クラブも半年で退団し、フランク・ライカールト監督率いるバルセロナへ加入した。そして同クラブで6試合に出場した後、アルベルティーニはスパイクを脱ぐことを決断。この時、同選手は34歳だった。

 イタリアサッカー史にその名を刻んだアルベルティーニは今もなお、レジスタの先駆者として語り継がれている。

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