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セリエA 5年前

華麗すぎる! イタリアが生んだ世界最高のレジスタ5人。ピルロにアルベルティーニ、そして…ピッチを彩る演出家たち

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

ファビオ・リヴェラーニ

ファビオ・リヴェラーニ
ラツィオなどで活躍し、イタリア代表にも招集された経験を持つファビオ・リヴェラーニ【写真:Getty Images】



ファビオ・リヴェラーニ
生年月日:1976年4月29日
イタリア代表成績:3試合0得点

【過去の所属クラブ】
ノチェリーナ(2試合/0得点0アシスト)
ヴィテルベーゼ(104試合/18得点)
ペルージャ(35試合/3得点5アシスト)
ラツィオ(170試合/9得点2アシスト)
フィオレンティーナ(77試合/2得点6アシスト)
パレルモ(75試合/0得点16アシスト)
FCルガーノ(0試合/0得点0アシスト)

 イタリア代表史上初の黒人選手として知られるファビオ・リヴェラーニ。同国代表での出場は国際親善試合の3試合のみとなっているが、同選手もまた、イタリアの複数クラブで活躍した屈指のレジスタだ。

 セリエC1(3部)のノチェリーナでプロデビューを果たしたリヴェラーニは当時無名の選手だった。事実、同クラブに所属したのはわずか1シーズンのみで、目に見える結果を残すことできず、翌シーズンにはセリエC2(4部)のヴィテルベーゼに移籍することになった。

 新チームでは出場機会を得ることに成功し、メキメキと成長を果たしたリヴェラーニ。チームをセリエC1昇格に導くなど申し分ない活躍を見せ、2000年、ローマへと移籍した中田英寿の後釜としてペルージャに加入することになった。当初はトップ下で出場することが多かった同選手だが、シーズンが進むにつれ、ボランチでの出場が増えるようになる。左足から放たれる正確なフィードが最大の武器で、それを生かし数多くの決定機を演出するなど、レジスタとしての才能がこの頃から芽生え始めた。

 ペルージャでの活躍が認められ、2002年にラツィオへ移籍。しかし、出場機会こそ多かったが、相次ぐ監督交代の影響などもあり、リヴェラーニの立場も徐々に不安定になっていった。2005/06シーズンにはチームキャプテンにも就任したが、契約延長を掴むまでには至らず、翌シーズンにフィオレンティーナへと移籍することになる。

 2006/07シーズンより加入した新チームではピッチに立ち続け、ルカ・トニやアドリアン・ムトゥらとともにクラブを支える中心人物として活躍。フィオレンティーナも同シーズンにUEFAカップ出場圏の5位でフィニッシュするなど、躍進を見せた。リヴェラーニは最終的にフィオレンティーナで2シーズンを過ごし77試合2得点6アシストの成績を収めている。

 2008/09シーズンにはパレルモへ移籍。2011/12シーズンにはスイスのFCルガーノに加入するが当時35歳だったリヴェラーニに出番が訪れることなく、シーズン中に契約を解除し現役引退を発表した。

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