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チェルシー21世紀ワーストイレブン。トーレス、シェフチェンコ…期待に応えられなかった11人

シリーズ:ワーストイレブン text by 編集部 photo by Getty Images

DF紹介

DF
【写真:Getty Images】


RSB:フアン・クアドラード(コロンビア代表)
生年月日:1988年5月26日
在籍期間:15年2月~15年8月
移籍金:3100万ユーロ(約37.2億円)
クラブ通算成績:15試合0得点1アシスト

 2009年にセリエAにやってきたフアン・クアドラードは、ウディネーゼを経て2012年夏にフィオレンティーナに移籍した。ヴィオラで頭角を現すと評価が急上昇。瞬く間にセリエA屈指のアタッカーとなった同選手は、2015年2月に3100万ユーロ(約37.2億円)でチェルシーに移籍を果たした。だが、チェルシーでのキャリアは長くは続かなかった。

 クアドラードは加入後すぐに出場機会を得たが、スタメン出場したのは4試合のみ。プレミアリーグへの適応に苦しみ、リーグ戦12試合0得点1アシストと、周囲の期待に応えることが出来なかった。すると、チェルシーは2015年8月にバルセロナからペドロを獲得。これにより立場を失ったクアドラードは、同時期にユベントスへレンタル移籍に出された。その後、同選手はセリエAで復調したが、チェルシーに戻ることはなく、3100万ユーロ(約37.2億円)もの移籍金で加入したこの男は、公式戦わずか15試合の出場に終わってしまった。

CB:ハリド・ブラールズ(元オランダ代表)
生年月日:1981年12月28日
在籍期間:06年8月~07年7月
移籍金:1320万ユーロ(約15.8億円)
クラブ通算成績:23試合0得点0アシスト

 母国でキャリアをスタートしたハリド・ブラールズは、2004年夏に当時ブンデスリーガに所属していたハンブルガーSV(HSV)に移籍。同年にオランダ代表デビューを飾るなど、ダニエル・ファン・ブイテンとコンビを組み、見事な活躍を見せた。その活躍により、2006年8月にジョゼ・モウリーニョ率いるチェルシーに加入している。

 加入初年度のリーグ戦第3節から3試合連続でスタメン出場するなど、スタートは上々だった。しかし、その後は膝や肩の負傷により戦線離脱を繰り返してしまい、1年目の公式戦出場は23試合に留まった。プレミアリーグに適応しきれなかった同選手は、2007年夏にセビージャへレンタル移籍に出されると、2008年夏にはシュトゥットガルトへ完全移籍。チェルシーではわずか1年間のプレーに終わり、イングランドを去ることになった。

CB:ババ・ラーマン(ガーナ代表)
生年月日:1994年7月2日
在籍期間:15年8月~16年8月
移籍金:2600万ユーロ(約31.2億円)
クラブ通算成績:23試合0得点2アシスト

 ババ・ラーマンは2012年にグロイター・フュルトへ移籍。欧州リーグへ渡ると、2014年に加入したアウクスブルクで才能が開花。デュエルが激しいブンデスリーガでリーグタックル数1位を記録する活躍を見せると、2015年8月に2600万ユーロ(約31.2億円)でチェルシーに引き抜かれた。

 ラーマンは加入当初こそ出場機会がなかったが、シーズン終盤に入ると徐々に出場機会を確保。翌シーズンの活躍が期待されたが、新監督として就任したアントニオ・コンテ監督にプレシーズン中にアピールすることが出来ず、2016年8月にシャルケ04にレンタル移籍に出された。その後はレンタル移籍を繰り返す日々。チェルシーは2600万ユーロ(約31.2億円)もの移籍金を費やしたが、同選手の公式戦出場は23試合に留まっている。

LSB:ユーリ・ジルコフ(元ロシア代表)
生年月日:1983年8月20日
在籍期間:09年7月~11年8月
移籍金:2100万ユーロ(約25.2億円)
クラブ通算成績:49試合1得点11アシスト

 2004年冬にCSKAモスクワに加入したユーリ・ジルコフは、04/05シーズンにリーグ、リーグカップ、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)の3冠達成に貢献。翌シーズンには国内3冠を達成と、加入後すぐにチームに欠かせない存在となった。ロシア国内での活躍は見事だったが、同選手が欧州にその名を轟かせたのは、ユーロ2008だろう。ロシア代表のベスト4進出に貢献し、同大会の優秀選手に選出されたこの男は、同年のバロンドール候補30人にも選出された。

 その活躍が評価され、2009年7月に2100万ユーロ(約25.2億円)でチェルシーへ加入。大きなステップアップを果たしたが、ここでのプレーは2年間で終わってしまった。その大きな要因の1つがアシュリー・コールの存在だ。世界最高の左SBの1人と呼ばれる同選手の牙城を崩すことが出来ず、ジルコフのチャンスは限られた。2年目の10/11シーズンは序盤から出場機会を得たが、中盤戦に入ると約3ヵ月の戦線離脱。2011年3月に復帰したが、その後はベンチを温める日々が続き、シーズン終了後にアンジ・マハチカラに売却されることとなった。

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