苦労人で遅咲き。波乱万丈のキャリア
1988年2月10日、ミラノ県南東部の小さな町、ヴィッツォーロ・プレダビッシに生を受けたアチェルビは、苦労人で遅咲きのプレーヤーだ。アンダー世代の代表経験はなく、ブレッシャとパヴィーアの下部組織を経て、17歳でセリエC1のカテゴリーにおいてプロデビューを果たした。セリエAのピッチに初めて立ったのは、キエーヴォに所属していた23歳の時だった。
2012年6月には、共同保有していたジェノアが、残りの半分の権利を買い取り、同時に400万ユーロ(約6.4億円)で、ミランに売却される。アチェルビが子どもの頃から憧れていたクラブへの移籍だ。
しかし、アレッサンドロ・ネスタが背負っていた13番を身に纏うこととなったが、期待に応えることはできず。リーグ戦の 6試合に出場機会を得ただけで、翌年1月の移籍市場でお払い箱となり、キエーヴォにレンタルで出戻りとなった。
その年の7月には、クラブ史上初のセリエA昇格を果たしたサッスオーロに活躍の場を求める。新たな出発だ。
しかし、メディカルチェックで予期せぬ事態が生じる。睾丸に腫瘍があることが発覚した。9月15日に復帰したものの、2013年12月1日に行われたカリアリ戦後のドーピング検査で、ヒト絨毛性ゴナドトロピンに陽性反応を示した。治療目的による例外措置が存在しないことが確認されたため、イタリア・オリンピック委員会(CONI)によって暫定的に出場停止処分を受けた。
その後、再検査により、がんの再発が明らかとなった。25歳の若さでがんとの闘病生活を強いられたアチェルビは2019年10月25日の全国紙『ラ・レプッブリカ』のインタビューで当時をこう回想している。