「この夢はどんなにしんどくてもブレることは一度も…」
「これまで人生すべてをサッカーにかけてきました。しかし、ここに来るまで決して平らな道ではなく、高校生になって3年、プロになって4年、何をしてもどれだけ頑張っても何ひとつうまくいかずに、天才や怪物たちと出会って自分と比較して挫折を繰り返し、最後は契約満了になり、どん底で終わりました」
福岡県北九州市で生まれ育った福田は、地元の強豪・東福岡高校へ進学。2年時、3年時と全国高校サッカー選手権のピッチにも立った。しかし、プロを志望しながら卒業までにJクラブからのオファーが届かず、2019シーズンに当時JFLだったFC今治に加入したように、決して順風満帆な3年間ではなかった。
そして、翌2020シーズンからJ3へ昇格を果たした今治でも、計4シーズンでリーグ戦36試合に出場するもノーゴールに終わり、契約満了に伴い2022シーズンのオフに退団した。福田が続ける。
「7年間、心の底から楽しいと思える日はほとんどなく、孤独を選んでは自分自身を見失っていくような日々でした。正直、逃げたかったというか、楽になりたいと思うときは何度もありました。でも、自分の夢はサッカーを通して多くの人を幸せにすることであり、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)に出ることでした。この夢はどんなにしんどくてもブレることは一度もなく、僕がサッカーをやっている意味でもありました」
もがき、苦しんだ福田を支えたのは家族の存在だった。北九州市内の実家で暮らす両親、姉、福田の双子の弟で、北九州高校と九州共立大学でサッカー部に所属し、JFLのFC刈谷をへて、いま現在は九州リーグのKMGホールディングスFCでキャプテンを務める凌生へ、福田は感謝の思いを捧げている。
「きっと僕以上に辛い思いをさせてしまって本当にごめんなさい。一番辛かったときに『いつでも辞めて帰ってきてもいいからね』と言ってくれたあの言葉が本当に助けになりました。これまでどんなときも味方でいてくれて、支えてくれて本当にありがとう。おかげで僕はいま、こうして幸せにいられます」
ただ一人、ひとつ年上の兄の湧矢は異なるアプローチで福田に接した。東福岡高からガンバ大阪へ加入し、2018シーズンの開幕戦でルーキーながら先発を果たしている湧矢の背中を福田は追いかけてきた。