逆境を乗り越え、J1の舞台へ
2018シーズンにプロになってから8年目で、国内最高峰となるJ1の舞台へたどり着いた。
中学生年代のU-15から松本山雅FCのアカデミーで心技体を磨いた小松はU-18からトップチームへの昇格がかなわず、卒団後の2017年春に産業能率大学へ進学した。そして同大学サッカー部でのプレーが評価される形で、東京五輪世代となる年代別の日本代表に招集され始めた。
すると翌2018年3月に、一度は扉を閉ざされた松本への加入が決まった。急成長を見込まれて練習参加したなかでオファーを手繰り寄せ、大学側の理解を得たうえでプロになった。しかし、J2リーグ戦で一度もベンチ入りを果たせず、天皇杯でもピッチに立てないままルーキーイヤーを終えた。
翌2019シーズンにツエーゲン金沢へ育成型期限付き移籍した小松は、2020シーズンからはレノファ山口FCへ期限付き移籍。J2のステージで3シーズンにわたって武者修行し、79試合に出場して10ゴールをあげた小松は、請われる形でJ3へ降格した古巣・松本へ2022シーズンから復帰した。
そして、28試合に出場するも5ゴールに終わり、松本もJ2復帰を逃した2022シーズンのオフに、サッカー人生で最大のターニングポイントが訪れる。松本から提示されたのは年俸の減額であり、2023シーズンからは再び他のクラブへ期限付き移籍してはどうか、という打診だった。
J3の舞台で通用しなければ、その先のサッカー人生がどうなるのかはおのずと察しがつく。キャリアに危機が迫っていると実感した小松は松本への残留を申し出る。さらに弱さを指摘されていたメンタルを根本的に変えようと個人的にメンタルトレーナーに師事し、生活習慣もサッカー中心のそれに刷新した。