近年では多くの日本人選手が海外クラブで活躍している。しかし、三笘薫や久保建英のように素晴らしいパフォーマンスを披露できた選手もいれば、クラブ・サポーターの期待に応えられなかった選手もいる。今回は海外クラブを落胆させてしまった歴代日本人選手を紹介する。[6/6ページ]
※成績などのデータは『transfermarkt』を参照。
FW:柳沢敦(やなぎさわ・あつし)
生年月日:1977年5月27日
移籍失敗に終わったクラブ:サンプドリア(イタリア)
在籍期間:2003年7月1日~2005年7月1日※他クラブへのローン期間含む
通算リーグ戦成績:15試合0ゴール1アシスト
高校卒業後の1996年に鹿島アントラーズに加入した柳沢敦は、1998シーズンに22得点を決めるなどゴールを量産した。
1998年には日本代表デビューを果たすと、2000年に行われたシドニーオリンピック(五輪)ではベスト8進出に貢献し、2001年には日本年間最優秀選手賞を受賞する。
国内最高の選手という評価を受けた同選手は、日韓W杯に臨む23人に選出され、日本初のベスト16進出に貢献した。
プロデビューから目覚ましい活躍を続けていたが、海外では苦戦を強いられることとなった。
2003年7月にイタリアの古豪サンプドリアに移籍を果たしたが、同クラブでは公式戦18試合に出場するも無得点で終わる。
シーズン終盤には、低調なパフォーマンスから練習場においてサポーターから罵声を浴びせられることもあったそうだ。
当然、クラブに残ることは難しくなり、2004年7月にメッシーナにレンタル移籍に出された。
しかし、クラブが変わっても結果はほとんど出すことが出来なかった。
2004年8月に行われたコッパ・イタリア(国内カップ)のアシレアーレ戦でイタリアでの公式戦初ゴールを決めたが、在籍期間中に決めたのはこの1点のみ。
慣れないウイングや2列目での起用に応えることができず、2006年2月、期限付き移籍で鹿島に復帰。イタリアでのプレーは3年弱で幕を閉じた。
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