若くして評価され、「天才」と称される選手たちがいる。しかし彼らがそのままスター選手として活躍し続ける保証はない。怪我やプレッシャーに苦しみ、コンディションを落としていく者もいる。今回は大きな期待を背負いながらも才能を発揮しきれなかった日本人選手を紹介する。※成績は『transfermarkt』を参照。[1/5ページ]
MF:小野伸二
生年月日:1979年9月27日
主な在籍クラブ:浦和レッズ、フェイエノールト、北海道コンサドーレ札幌
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日本サッカー界の「天才」といえば、小野伸二の名を外すことはできない。
小野は清水商業高等学校時代からすでに、天才と称され、注目を集めていた。
複数クラブ争奪戦の末、高校卒業後に浦和レッズに加入。ルーキーながら開幕節のジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド千葉)戦に先発すると、続く第2節の横浜フリューゲルス戦でプロ初得点をマークした。
1998年夏には、18歳でありながらFIFAワールドカップ(W杯)に出場する。
グループステージ第3戦のジャマイカ代表との試合に途中出場し、ファーストタッチで相手の股を抜く華麗なプレーからミドルシュートに持ち込み、非凡なセンスを印象づけた。
翌年のFIFAワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)では、U-20日本代表の主力として活躍し、準優勝に貢献。自身も大会ベストイレブンに選出された。
悲劇が起きたのは、それから数カ月後だった。
シドニー五輪(シドニー・オリンピック)・アジア地区一次予選のフィリピン代表戦で相手選手のタックルを受けて、左膝じん帯断裂の重傷を負ったのだ。
長期離脱を経て復帰した小野は、オランダのフェイエノールトで活躍し、日本人選手初のUEFAカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)優勝を果たすなど、日本を代表するMFとして活躍を続けた。
W杯には計3度出場。長く第一線でプレーを続けたが、常にケガと隣り合わせだった。そのキャリアには「もしあの大ケガがなければ」という思いがつきまとう。そう思わせるほど、彼の才能は飛び抜けていた。
